悪魔が悪魔でなくなった20年、市場という新たな悪魔の登場 『プラダを着た悪魔2』【小説家・榎本憲男の炉前散語】
小説家で、映画監督の榎本憲男。銀座テアトル西友(のちに銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人など、映画館勤務からキャリアをスタートさせた榎本が、ストーリーを軸に、旧作から新作まで映画について様々な角度から読者に問いかけていく「小説家・榎本憲男の炉前散語」。第15回は、前回の連載で主人公の“欲しいもの”に着目し、作品の魅力を紐解いた『プラダを着た悪魔』(06)に続き、公開から1か月以上経ってもなお劇場を賑わせている20年ぶりの続編『プラダを着た悪魔2』(公開中)にフォーカス。哲学的な視点も交えながら、現代版にアップデートされた『2』の物語を解剖しつつ、アンディが迎える結末について独自の観点で論じていきます。
※本記事は、『プラダを着た悪魔2』のネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)に該当する要素を含みます。未見の方はご注意ください。
アンディをいかにして「ランウェイ」の編集部に引き戻すのか
『プラダを着た悪魔2』が公開されました。メリル・ストリープ、アン・ハサウェイ、エミリー・ブラント、スタンリー・トゥッチと、前作で好演した役者陣が顔を揃え、監督、脚本、撮影監督の布陣も前作と同じです。
前作で描かれていたのは、腰かけ程度の軽い気持ちで「ランウェイ」の編集部に入ったアンディ(ハサウェイ)が悪魔のような上司の猛烈なシゴキに耐えつつ奮闘し、成長していくプロセスでした。そして、ヒロインがもともと自分が志望していた本格的なジャーナリズムの世界に戻るところで終わる。この続編は、それから20年後の世界を描きます。
『プラダを着た悪魔2』を制作するためにまず脚本家が考えなければならなかったのは、どうやってアンディを「ランウェイ」に戻すか、だったでしょう。そもそも色々あった挙句の果てに、自分がホームベースだと信じる世界に向かって行ったわけですから、なんらかの工夫がないと戻ってきにくい。自分ならこのあたりをどのように組み立てるだろう、と考えふたつの仮説を立てました。
①彼女が目指したジャーナリズムの世界も腐敗していて、嫌気が差していたところにナイジェル(トゥッチ)かエミリー(ブラント)に再会し、「いまこそ君の力が必要だ」「またうちで頑張れば」とかなんとか言われて、戻る。
②「ランウェイ」がなんらかの危機に瀕していることを知ったアンディがいても立ってもいられず、「ランウェイ」に戻る。
答合せの結果は、①と②の合わせ技と言ったところでした。それでは見ていきましょう。
かつての勢いを失った「ランウェイ」。その原因は?
「ランウェイ」を去って20年後、NYヴァンガード紙の記者となったアンディは、NYプレスクラブ賞授賞式の会場にいます。そして、「ゴールド・キーボード賞」のウィナーとなる。受賞者として名前が呼ばれる直前、円卓の上に置かれた仲間のスマホにいっせいにメールが着信します。それは職場からの大規模なリストラの通知でした。当然、マイクの前に立ったアンディの表情は晴れやかにというわけにはいきません。彼女は直前の解雇に対して、辛辣なコメントを発します。
ちょうどそのころ、かつては「悪魔」と評された編集長のミランダ(ストリープ)もかつての勢いを失っています。労働環境において問題のある企業を好意的に取り上げてしまったことで、世間から猛バッシングを浴びています。それだけでなく、この20年で雑誌媒体の力そのものが低下しているようです。
つまり、自分にふさわしい場所だとアンディが信じたジャーナリズムも、立ち去ったファッション業界も同じ脅威にさらされているところから物語はスタートします。その脅威の根源は、市場です。
授賞席上でアンディは、受賞の喜びの言葉を撤回し、市場主義による解雇を非難します。そして、このスピーチがオーナーの目に留まり、彼女は「ランウェイ」に乞われるようにして戻り、特集エディターの地位を与えられる。早い話が「ランウェイ」の再建と生き残りを託されるのです。アンディが受賞した作品が「街と心:再生する力」であることは、彼女に与えられた使命と期待を象徴しているかのようです。
『プラダを着た悪魔2』でのキャラクターの大きな変化は、かつて第1アシスタントだったエミリーがブランド側の人間になって、「ランウェイ」時代に怖れていた上司に対して力を持つようになっていることでしょう。この20年で雑誌媒体の力が落ちたぶんだけ、相対的にブランドの力が上がったというわけです。「ランウェイ」の編集部はブランドと手を組まざるを得なくなっているのです。エミリーに力を与えているのは市場です。またこの反作用はミランダにも影響を与えます。前作では、彼女の何気ないひとこと、視線の動きなどがファッション界全体に影響を与えていた様子が描かれていましたが、そのような権勢はもうありません。
そして、市場に加えて世の中の風潮がミランダの権威を低下させています。前作を批評するときに、僕が「これはいまなら問題になるでしょう」と注釈をつけた彼女の横暴は、続編では影をひそめています。昔のような無茶は言わなくなったし、アシスタントのデスクの上にバッグやコートを投げつけることもなくなりました(人事部から注意されたそうです)。ミランダが自分でハンガーにコートをかけているところを目撃したアンディが驚くシーンは、前作を見た観客には笑えるでしょうが、その笑いは複雑です。
では、ミランダは傲慢ではなくなったのか。そんなことはありません。物語の終盤にとんでもない問題発言をしている(と僕は思う)。ただ、これは問題になるのかどうかはわかりません。
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語
