クリストファー・ノーランは古典を現代にどう再生させたのか?遍歴譚『オデュッセイア』にみる“文明の衰退”と結末の解釈【小説家・榎本憲男の炉前散語】

クリストファー・ノーランは古典を現代にどう再生させたのか?遍歴譚『オデュッセイア』にみる“文明の衰退”と結末の解釈【小説家・榎本憲男の炉前散語】

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物語に横たわる「ゼウスの掟」とは?

では、求婚者が宮殿に押しかけて連日宴会に興じていることについて説明しましょう。オデュッセウスはイタケを離れてから約二十年も不在のままです。そして、この宴会は昨日や今日はじまったものではなく、このままでは王家の財産を食いつぶしてしまいかねません。ではなぜ、ペネロペは「お引き取りください」と言えないのでしょう。それは「ゼウスの掟(Zeus's Law)」という不文律があるからです。

押し寄せる求婚者たちに対して毅然とした態度で向き合うペネロペ
押し寄せる求婚者たちに対して毅然とした態度で向き合うペネロペ[c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

これは「世界観」の問題です。古代ギリシア人の心は私たちとはちがいます。私たちは法に従い、法に守られて生きていると信じています。ですので、知人であっても家に居座って帰らなければ、警察を呼び、法の力によって退去を求めることができます。では、その法は誰が作ったのでしょうか。私たちです。つまり、近代社会の民主主義というのは、私たちが私たちを統治するシステムです。しかし、古代ギリシア時代の人々の行動を律していたのは、神々、神々への信仰です。神の声に従って生きることが道徳的とされていました。これが言い過ぎなら、少なくとも、ホメロスの物語世界では、人々を律する規範や人と人との信頼関係は、神々の権威と密接に結びついていたと言い換えましょう。そして、そのゼウスの権威のもとにあるルールが「ゼウスの掟」だったのです。

古代では旅は危険をともなう行為でした。見知らぬ旅人が家を訪ねてきたならば、まず食事を与え、休ませ、保護することが文明人としての重要な義務(クセニアとも言います)だとゼウスは説き、主人側には、客を受け入れ、食事を与え、寝床を用意し、出発を見送る義務を課しました。ただ、客の側にも、暴力を振るわないのはもちろんのこと、主人を敬って、歓待につけ込んでいつまでも居座らないという義務もあった。つまり本来は、相互的な信頼関係が盛り込まれたものだったのです。なので、宮殿の求婚者たちが、「われわれは客なんだから歓待しろ。『ゼウスの掟』だ」と言って、オデュッセウスの牛や羊を屠り、酒を飲み、財産を食いつぶしているのは、「ゼウスの掟」の乱用によって信頼関係を壊すことであり、ゼウスを冒瀆していることに他なりません。

求婚者のひとり、アンティノオスは話題作への出演が相次ぐロバート・パティンソンが演じる
求婚者のひとり、アンティノオスは話題作への出演が相次ぐロバート・パティンソンが演じる[c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

では、なぜ宮殿の主であるペネロペは「お引き取りください」と言えないのでしょう。ここには政治の力学が絡んでいます。求婚者たちはイタケや周辺諸島の有力者や貴族の息子たちで、ゴロツキではありません。しかもオデュッセウスは二十年も不在。死んだのか生きているのかさえわからない。息子のテレマコスはまだ半人前で、軍事的・政治的な手腕を身につけてはいません。つまり、権威がない。そして、警察に電話して排除してもらえるような世界でもありません。


海神ポセイドンへの供物を装い、トロイア人を騙し討ちした「トロイの木馬作戦」
海神ポセイドンへの供物を装い、トロイア人を騙し討ちした「トロイの木馬作戦」[c] 2026 UNIVERSAL STUDIOS

そして一方、主人公のオデュッセウスもまた、信仰に厚い聖者かと問われると、かなりきわどいことをしています。有名な「トロイの木馬作戦」において、彼は自分の部下に、この木馬は“供物”だと敵に伝えさせ、木馬を城内に運び込ませ、そこから抜け出すと一気に攻め込み落城させます。つまり、神への信仰を騙ることで勝つわけです。作戦としてはシャープですが、道徳的に許されるのでしょうか? 神への信仰を利用して敵を欺くことは、神への冒涜であると同時に、神を信じる者どうしという信頼関係をも壊してしまいます。つまり、オデュッセウスのしていることは、宮殿に居座っている求婚者たちと変わらないとも言えるのです。そして、この作戦の中で、“供物”であると敵に伝える任を受けた若者シノン(エリオット・ペイジ)は命を落とします。さらに、この時代の戦争は、負ければ、賠償金を払うとか領土を奪われるとかではすまされません。待っているのは、滅亡です。具体的には、成人男性はほぼ皆殺し、都市は焼かれ、建物は破壊し尽くされ、生き残った女性と子供は戦利品、つまり奴隷として分配されるのです。

■榎本憲男 プロフィール
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。


小説家・榎本憲男の炉前散語
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