クリストファー・ノーランは古典を現代にどう再生させたのか?遍歴譚『オデュッセイア』にみる“文明の衰退”と結末の解釈【小説家・榎本憲男の炉前散語】
小説家で、映画監督の榎本憲男。銀座テアトル西友(のちに銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人など、映画館勤務からキャリアをスタートさせた榎本が、ストーリーを軸に、旧作から新作まで映画について様々な角度から読者に問いかけていく「小説家・榎本憲男の炉前散語」。第19回は、作品を発表するたびに映画シーンをくぎ付けにし、ついに前作『オッペンハイマー』(23)でアカデミー賞作品賞を受賞したクリストファー・ノーラン監督の最新作『オデュッセイア』(公開中)をピックアップ。日本でも公開から13日間(9月23日時点)で、興収15億円突破というヒットを記録している本作。その原典となるのは、古代詩人ホメロスによって作られた英雄譚「オデュッセイア」です。世界で最初の“物語”のひとつとも言える「オデュッセイア」を、ノーラン監督はいかにして描いたのか。ストーリーに着目しながら、本作の魅力に迫ります。
※本記事は、『オデュッセイア』のネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)に該当する要素を含みます。未見の方はご注意ください。
「オデッセイ」の語源にもなった、最古の物語
主人公の名前はオデュッセウス、そして作品名は「オデュッセイア」。「オデュッセウスの物語」というような意味ですね。この作品があまりにも有名になり、転じて「オデッセイ」と言えば長い旅路を意味するようになりました。たとえば、『2001年宇宙の旅』(68)の原題は『2001: A Space Odyssey』です。そして、本作の原題は『The Odyssey』。ここにはギリシアの古典をベースにしながら、言ってみれば「2026年人類の旅」のようなニュアンスが込められているような気がしてなりません。
「オデュッセイア」は簡単に言うと神話を詩にしたものです(ホメロスひとりが作者かどうかも諸説あるようです)。「オデュッセイア」は「イリアス」の続編とでもいうべきもので、この2作品はともにトロイア戦争に関係しています。「イリアス」はトロイア戦争末期の一時期を描き、「オデュッセイア」はその戦争から帰還するオデュッセウスの物語です。トロイアをついに陥落させたのは「トロイの木馬」による奇襲攻撃でしたが、これはノーラン版の映画ではマット・デイモンが演じるオデュッセウスの考案によるものとなっています(ホメロスの「オデュッセイア」では曖昧)。トロイア戦争の英雄としてはアキレウスが有名ですが、こちらは運動神経に長けた武術の達人、これに対してオデュッセウスは知略に長けたタフな精神の持ち主というキャラクターですね。では、映画『オデュッセイア』の物語を見ていきましょう。
イタケの宮殿では、オデュッセウスが戦争から戻らないため、空位になっている王座を狙って妻ペネロペ(アン・ハサウェイ)に求婚する者らが宮廷に押し寄せて、毎日宴会を開いています。このあたりの状況は理解しにくいのですが、重要なのであとで説明します。ともあれ、いつまでも国を王不在のままにはしておけません。ペネロペは夫の帰還を信じ、のらりくらりと求愛をかわし続けています。一方、息子のテレマコス(トム・ホランド)はまだ王位に就くには非力ですが、意を決して、帰らぬ父の消息を求めて旅に出ます。そして、主人公のオデュッセウスは、帰還を阻まれたあげく、カリュプソ(シャーリーズ・セロン)という不思議な女神とともに暮らし、蓮の花を食べさせられて意識が混濁してはいるのですが、すこしずつ過去を思い出していきます。つまり、物語は概ね、オデュッセウスのトロイアでの戦いと帰還、妻ペネロペの宮殿でのディフェンシブな外交術、そして、息子テレマコスの成長物語、この3つの糸がより合わされて進むのです。
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語
