大槻ケンヂが自身の青春と重ねて振り返る映画『五十年目の俺たちの旅』から滲み出るやさしさと切なさ

大槻ケンヂが自身の青春と重ねて振り返る映画『五十年目の俺たちの旅』から滲み出るやさしさと切なさ

「僕の青春をひと言でいうなら、やっぱりバンドかな」

シリーズスタートから50年を経た主人公たちのいまが描かれてる『五十年目の俺たちの旅』は1月9日(金)公開
シリーズスタートから50年を経た主人公たちのいまが描かれてる『五十年目の俺たちの旅』は1月9日(金)公開[c]「五十年目の俺たちの旅」製作委員会

企画・脚本の鎌田は、「俺たちの旅、このドラマを貫いているのは、生きていくことの切なさです」とコメントしているが、大槻が本作のどのようなところに切なさを感じているのだろうか。「洋子もワカメもいないことが本当に切なく感じるし、喪失感もあります。でも逆に、年齢を重ねたとは思えない岡田さんがそこにいることにはうれしさを感じるし、すごいという感想も持ちます」と深く頷きながら答える。「やっぱりこの時代の俳優さんにしかない雰囲気や個性というのがあって…」と話した大槻は、「欲を言えば、シリーズに登場していた桃井かおりさんや檀ふみさんも映画で観たかったし、ドラマでの玉三郎役の石橋正次のシーンは大好きなので、もっと長く登場してほしかったなあ」とシリーズファンならではの希望も口にしていた。

ドラマの聖地・吉祥寺に足を運ぶことはなかったという大槻だが、劇中に登場する神田川沿いにある「いろは食堂」のロケ地には興味があったという。「リアルタイムで観ていたのは『ゆうひが丘の総理大臣』だったのですが、この作品に登場する食堂も同じロケ地だったので、学校が終わったらみんなで自転車で見に行こうって話もしていた記憶があります」と懐かしそうに振り返る。

ドラマのよさがそのまま映画になったのがうれしいと語った大槻ケンヂ
ドラマのよさがそのまま映画になったのがうれしいと語った大槻ケンヂ撮影/木村篤史

カースケ、オメダ、グズ六の3人は、昭和の青春を象徴しているが、大槻にとっての青春の象徴、自身の青春とはどのようなものなのだろうか。「深夜放送と名画座と古本屋巡り、あとバンド。僕は暗い若者だったと思います(笑)。高校のころは猛烈に屈折していたので、学校では友達と打ち解けなくて。勉強も運動もできなかったので、校内ではダメダメくんでした。家に帰ってチャリンコに乗って家の近所をグルグルして…。あとは古本屋を巡って、名画座で映画を観て帰って来て、深夜放送を聴いて1日が終わるという感じ。それが平日の過ごし方で、高校生になると土日はバンドが入るようになって。いまにしてみると、充実していたような気もしますが、中学のころも学校が大嫌いで、学校が終わると家に帰って、自分でチャーハンを作って、夕方4時から5時は『俺たちの旅』を観るというのが日々の過ごし方だったかな。バンドを始めたのは中学3年生のころで、ライブハウスに出たのは高校1年生でした。僕の青春をひと言でいうなら、やっぱりバンドかな」。


ちなみに、名画座巡りで観ていた映画について尋ねると、“暗め”の作品が多かったと微笑む。「暗めの映画を観て悶々とする青春時代でしたよね。ジョン・ボイトとダスティン・ホフマン共演の『真夜中のカーボーイ』(69)はとても思い出深い作品です。邦画だとジュリー(沢田研二)さんが出ていた『太陽を盗んだ男』(79)も好きだったし、SFチックな暴走族の映画『狂い咲きサンダーロード』(80)も印象深いです。名画座はゾンビものの上映が多かったので、ホラー映画だと『悪魔のいけにえ』(84)も好きでした。本当になんでも観てやろうみたいに思っていた時代で、インディーズで字幕もない海外直輸入の映画の上映会とかも一人で観に行ったり。よく行っていたのは中野名画座。いまはもうなくなってしまったけれど、黒板の大きさくらいのスクリーンで。『燃えよドラゴン』(73)を観に行った時に、前の席にアフロの人がいて、ほとんどスクリーンが見えなかったのを覚えています。暗い青春時代だと思っていましたが、こうやって話してみると、いい思い出がたくさんある気がしてきました(笑)」。

取材・文/タナカシノブ

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