二大女優の狂演で『隣人たち』が魅せる“静かな恐怖”「物理的に一番近い人が一番怖い…」
「目の色まで変わっていくハサウェイさんの細やかな芝居がすごく恐ろしくて、重い」(野水)
――アリスを演じたチャステインのお芝居はいかがでした?
斉藤「彼女はわりと強気な役柄を演じることが多いじゃないですか?それに結構猪突猛進型で、今回のアリスもそうですけど、一度信じ込んでしまったら一心不乱に突き進んでいくキャラクターがよく似合う。それこそ関節技に持っていくハサウェイとは違ってガンガン攻め込むからタイプだから、罠にもハマりやすいのかもしれない。でも、冒頭からアリスの視点で展開していくし、テオを失い、夜中に発狂してみんなに押さえつけられているセリーヌもアリスの主観でしか見せないから、観客はどうしても…」
野水「アリスの視点で観ちゃいますよね」
斉藤「それぐらいわかりやすい芝居でしたけど、突然義母が亡くなったあと、旦那を病院の誰もいない廊下に連れて行って『お義母さんは絶対セリーヌに殺されたのよ!』って訴えるシーンでは、その言動があまりにも常軌を逸しているから、アリスの妄想かもしれないと思えてくる」
小山「役名もアリスだから『不思議の国のアリス』じゃないけれど、迷い込んでいるようなニュアンスを感じましたね。翻弄させられているというか」
斉藤「巻き込まれる側ということですね」
野水「アリスが旦那さんから浴びせられる『お前が病院に行ったほうがいい!』という言葉も(子どもを失った直後精神に支障をきたした)セリーヌに向けられそうな気がするんですけど、彼女はフワフワしていてどこか暖簾に腕押し状態で。全力で『信じてよ!』って言い続けるアリスのほうが精神状態を危ぶまれて、どんどん孤立していってしまう。だからアリスを疑ったほうがいいのかな?とも思わせる。それぐらい真っ直ぐなお芝居でした」
――すでに話されているかもしれないですが、みなさんが一番ゾクッとしたり、怖いと思ったシーンはどこですか?
野水「私は2人がタバコを吸いながら話をする夜のシーンです。アリスは両親が死んだ時のトラウマでしばらく子どもを抱けなかったことを告白するわけですけど、それを聞いていたセリーヌの顔色が瞳の強さと共にどんどん変わっていくんですよ。アリスが子どもを失ったセリーヌに対して、『自分にもトラウマがあるけれど、こうやって少しずつ立ち直ってきたから』という慰めのつもりで話したことが、また違うトラウマを生んでしまうあの瞬間はゾクッとしました」
斉藤「あそこ、怖かったですね」
野水「“あんたのはサバイバーズ・ギルト(自分だけ助かってしまった罪悪感)でしょ!私と一緒にすんなよ!”という責めるような顔色にみるみる変わっていったから、寄り添いがマウントにとられてしまう怖さを感じて。喪失と向き合っている人に寄り添うのって本当に難しいなと思いましたし、目の色まで変わっていくハサウェイさんの細やかな芝居がすごく恐ろしくて、重い!って思いながら観ていました」
斉藤「しかもあそこ、アリスは『あなたの気持ちは完全にはわからないけれど』って一応前置きをしてから話しているんですよね」
野水「そうなんですよ!彼女の優しさだったのに、それが棘みたいになって…」
斉藤「違う地雷を踏んじゃうんですよね」
――そんな斉藤さんがゾクゾクしたのは?
斉藤「僕は、アリスの息子のテオが、生垣をはさんで隣合うセリーヌの家のバルコニーで、シャボン玉を飛ばしているところ。あそこは結構決定的なシーンで、自分の家にいたアリスは、子どもがやっと通れるようなサイズの生垣のトンネルをくぐり抜けてテオの元に向かいますよね。そんなアリスをセリーヌが“え?”っていう顔でバルコニーから見ていたりして、いろいろな情報が重なりまくっている」
――セリーヌの息子のマックスがバルコニーに立っているのを見つけた時、アリスはそのトンネルをくぐって助けには行かなかったわけですからね。そうしていたら、落ちる前に間に合って、助けられたかもしれないのに。
斉藤「それでますますわからなくなって。“あっ、セリーヌがアリスを試すためにハメたな”という気持ちに一瞬なるけれど、でも、シャボン玉を飛ばしていただけだしなと思ったり…」
野水「バルコニーに出ていただけだし(笑)」
斉藤「そこまではわりとフラットに観ていたんですけど、あそこで結構自分の予想がグチャっとなったというか、この映画が読めなくなりました。アリスは旦那に『あれは(テオをバルコニーに立たせたのは)わざとだから』って言っているし、“セリーヌは私がマックスを救えたのに救わなかったと思っている”という彼女の疑心暗鬼があそこでスタートした感じになりましたからね。試合開始のゴングが鳴った気がしたから、これはキツいぞって思いました(笑)」
小山「『子どもを失った親の悲しみ』というのを言葉にするのは簡単だけど、それを演技で表現するのはすごく大変なことだと思うんですよ。それだけに、今回のハサウェイの顔のお芝居が衝撃的で。“切羽詰まった状態で悲しみを湛えるとこうなるんだ!”という演技をしていて、チャステインのお芝居とはまた違う。先ほど話に出た夜の会話シーンではその違いが如実に出ていたので、あのシーンはすごいと思いました」
――斉藤さんは先ほど「いい意味で裏切りの連続だった」とおっしゃいましたが、ラストで待つ衝撃の結末を予測できましたか?
斉藤「『ヒッチコック作品を彷彿とさせる』って事前に聞いていたし、ヒッチコックの映画は傷ついた主人公が疑心暗鬼にかかるものが多いから、観る前は息子を失ったセリーヌが悪夢に巻き込まれていくんだろうなという先入観がありました。でも、先に一線を越えたのがアリスのほうだったので、そこから先が読めなくなって。しかも、ハサウェイの演技が上手すぎるから、それが悲しみで本当に発狂しているものなのか、アリスを騙すための芝居なのか、どんどんわからなくなっていったんです」
「やっぱり、物理的に一番近い人が一番怖いですよね」(野水)
――ちなみに、ミステリーやスリラー、ホラーが大好きなみなさんは、本作のような身近な恐怖を描いた作品と怪物や凶悪犯が襲ってくる作品のどちらが怖いですか?
小山「全部怖いです!」
斉藤「そりゃ、全部怖いですよね(笑)。でも、僕はモンスターも幽霊も悪魔も『リング』の貞子も『呪怨』の伽椰子も怖いですけど、今回のような作品を観ると“幽霊的な怖さ” のほうがまだいいってめっちゃ思います。やっぱり、人間のほうが怖いですから」
――いわゆる“ヒトコワ系”ですね。
斉藤「そう、“ヒトコワ系”。しかも、隣の家の人となにかが起きちゃうみたいなことになるとリアリティがガッと上がって、めっちゃ怖い。貞子だったら『こんなのいないよ!』って言い切れちゃうけれど、黒沢清監督の『CURE』にしても、ヒッチコックの『裏窓』にしても、社交性もある見た目は普通の人が実はそうじゃなかった!みたいな、ある意味恐怖の真髄をやっているから逃れられない。それに実際に起きた事件を見ても、犯罪者は思い立つのではなく、普通に生きている流れのなかで人を殺しちゃうんだろうなとも思ったりしていて。自分もちょっとしたボタンのかけ違いで親友を疑っちゃったり、なにかの弾みで一線を越えちゃうんじゃないか?みたいなことを想像させる作品はやっぱり怖いです」
野水「私は殺人鬼も心霊モノも大好きで。オカルト現象も日常的に起きてほしいと思うし、スラッシャーも好きだから、ホームセンターでゾンビが襲ってきたらなにを使って戦おうって常に考えているんですよ(笑)。でも、斉藤さんがいま言われたように、“隣人”は怖い。特に現代はマンションの隣の部屋の人なんて引っ越しの時に挨拶するぐらいで、いつの間にか変わっていたりする。ピンポ~ンって鳴って『隣の◯◯です』って言われたらドアを開けざるを得ないし、そこでナイフを持っていたらもう防ぎようがない。だからやっぱり、普段交流のない、物理的に一番近い人が一番怖いですよね」
斉藤「野水さんのいまの話を聞いていて思いましたけど、『隣人たち』のベースにある、お互い母親で一方はもう子どもが産めなくなっているという設定は、いまの時代のほうがセンシティブな問題として受け取られるかもしれませんね。高齢出産も増えていて、不妊治療をしたり、子どもを産まない選択をしている人もいる。いろいろなレイヤーがある現代のほうが多方面から考えさせられると思うし、気まずさをリアルに感じるような気がします」
小山「“怖さ”のタイプはいっぱいあると思うんですよ。例えば怪物や怪獣、妖怪などが襲ってくる外から来る恐怖。それとはまた別の、通り魔のような匿名性のなにかに襲われる外から来る恐怖もあると思うんですけど、『隣人たち』が描く恐怖はそれらとは質が違う。隣りに住んでいて、名前も私生活も知っているし、ご飯を一緒に食べることもある人が“実は恐ろしい人物でした!”ってわかった瞬間、違う恐怖になると思うんです」
斉藤「内から沸き上がる恐怖ですね」
小山「そう。斉藤さんがさっき仰っていたように、その内なる恐怖が自分に跳ね返ってくることもあるし、シャワーを浴びてもそれは消えない。どれが一番怖いのかは好みの問題になってくるとは思うけれど、僕が一番怖いのはやっぱり内なる恐怖。だって、どうしようもないんだもの。心のなかに勝手に沸き上がる負の感情は、自分を変えない限りなくなりませんからね」
