二大女優の狂演で『隣人たち』が魅せる“静かな恐怖”「物理的に一番近い人が一番怖い…」
※ここから先は、ネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)を含みます。未見の方はご注意ください。
「あんな勝ち方をしたからゾッとした」(斉藤)
――そんなみなさんに最後の質問です。本作のオチをどう思いました?
斉藤「僕はもう少し大人しく終わると思っていたので、あのゾッとする終わり方を観て、“こういうハッピーエンドか!”って思いました」
――ラストシーンのアン・ハサウェイの顔も怖かったですものね。
野水「怖かったですね」
斉藤「あんな勝ち方をしたからゾッとしました。でも、一応、勝者ですものね」
小山「この映画がいいのは余計なことを言わないところだけど、私がそれで邪推したのは…いや、一番想像力を掻き立てられたのはあのラストシーンなんです。みなさんはどう思うかわかりませんが、私はセリーヌとテオは組んでいたと考えているんです」
野水「あ~!」
斉藤「共犯関係ということですか?」
小山「セリーヌとテオは実の親子ではないけれど、擬似親子として手を結んだのではないか?映画では描かれていないから、これは私の勝手な解釈ですけどね」
斉藤「なるほどな~。テオがバルコニーに立っていたのもワザとで、あれも2人の作戦のうちというわけですね。めちゃくちゃおもしろい。そう考えると、アリスが旦那に訴えていた『あれはワザとだから!』という言葉が妙に真実味を帯びてくるし、飛び降りようとしていたテオの動きがちょっと不自然だったような気もする」
小山「テオはたぶんすべて理解しているんですよ」
野水「そうかもしれない」
小山「エンディングの彼もすごく落ち着いてますからね」
斉藤「やけに落ち着いた子でした」
野水「お母さんが亡くなったのに、『ウワ~』って泣き叫ぶシーンもなかったですものね」
――小山さんのおっしゃる通りだとしたら、テオはなぜセリーヌと組んだのでしょう?
小山「テオは年齢的にはまだ子どもだけど、精神的には結構な大人だと思うんですよね。これは母親論になりますが、母性といっても一括りにはできないし、毒の母性だってある。テオにとって、母親のアリスは実はものすごく性に合わない存在だったという可能性も否定できないと思います」
斉藤「毒親ってことですね」
小山「そう。で、隣の家には理想の母親がいるんですよ。でも、自ら手を下すことはできないから、アリスが死に向かう流れに持っていったような気がしていて。テオを無邪気で可愛い子どもとして捉えるとそんな発想にはならないんだけど、いや、子どもって怖いんですよ!」
斉藤「残酷になれますからね、子どもは!」
小山「そういう映画もたくさん観てきたけれど、テオがそういう行動に出てもおかしくはない!」
野水「セリーヌのほうが優しいし、みたいな感じもありますもんね(笑)」
斉藤「あっちのママのほうがいいな、みたいなね」
野水「そんな単純な思いだけで行動に出る場合ももしかしたらあるかもしれない」
小山「そこはすごくシンプルだと思います」
――そう考えると、ここでもアン・ハサウェイのビジュアルの印象が効いていますね。
野水「美人だし、優しそうな女性に見えますものね」
――対するチャステインはちょっとキツい感じがするし。
野水「怒られてるシーンもいっぱいありました」
斉藤「テオのお父さんも怖かったですよ」
小山「そうですね」
斉藤「マックスの葬式の時も、テオに向かって『親友の葬式だぞ!』って結構強いキレ方をしていましたからね。テオが両親に対して悪意を持っていたとしてもおかしくないし、そう考えるとちょっと怖いです」
小山「いやいや、これはあくまでも僕の見方にすぎないですから(笑)」
野水「その視点がおもしろかったです」
小山「では、最後にもうひとつ言っておこうかな。『隣人たち』を観た方々には、ヒッチコックの『疑惑の影』(42)をぜひ観てもらいたい。アメリカの田舎町で暮らすニュートン一家のもとにある日突然チャーリー叔父さん(ジョセフ・コットン)がやってくるんだけど、長女のチャーリー(テレサ・ライト)は自分と同じ名前の一見普通の叔父さんに不信感を募らせていくんです」
――「身近な人が怪しい」という、『隣人たち』とも重なる構造ですね。
小山「郊外型の殺人犯を描いたミステリーがそれまで映画ではなかったからヒッチコックはそこに目をつけたんだけど、今回の映画の原型はこの作品だと思うし、逆の言い方をするなら『疑惑の影』を新しい視点で作り直したような感じもしていて。一緒に観ると、『隣人たち』のおもしろさがたぶん増幅されると思います」
取材/文 イソガイマサト
