嘘偽りなき“全身全霊を傾けた演技”『アン・リー/はじまりの物語』アマンダ・セイフライドの過去作を凌駕する強烈な熱演に迫る
アン・リーの信念と痛みを体現したアマンダ・セイフライド
そんなアン・リーの史実に、現代的な命を吹き込んだアマンダ・セイフライド。信仰に対して一途な姿はある意味で感動的だが、彼女が体現したのはそれだけではない。自身をキリストの再来であると強く信じ込み、信仰の妨げとなる性交は全否定して、清らかに生きることこそ神への道と説く。
当然だが、彼女の築いたコミュニティでは信者間の新生児は誕生しない。『ブルータリスト』に通じる人間の狂気も、そこには確かに脈づいているのだ。背景に次々と子どもを失ってしまった深い悲しみがあることは言うまでもない。この喪失の場面での抑制の効いた、それでも悲痛さがしっかりと伝わるセイフライドの演技は欧米でも高く評価された。
宗教的な恍惚をミュージカルとして表現
神を賛美する儀式のシーンも然り。体を震わせながら祈り、踊り、歌い、信者たちを導くシーンに息づく宗教的な恍惚。言葉ではなく、全身でそれを表現するセイフライドの熱演の強烈さは、目線や表情を含めて、映画を観るすべての観客の胸に鮮烈に焼き付くだろう。これはもう、アン・リーに共感できるか否かの問題ではない。より根源的な、“なにかすごいものを見ている”という感覚に近い。
『マンマ・ミーア!』(08)や『レ・ミゼラブル』(12)などのミュージカル映画の経験もある彼女だから、本作での“歌”の演技も堂々たるもの。とはいえ、これら過去のミュージカルシークエンスとは、まったく違うものであることは力説しておきたい。生きることの苦悩を歌い、それでも消せない信仰を歌い、神への愛を歌う。そこにはミュージカル映画らしいユーモアや解放感はないが、アン・リーという人物のぎりぎりの生き方が痛いほど伝わってくる。
ほかにも出産シーンをはじめ、セイフライドの熱演が鮮烈なシーンは多いが、セリフ以上に肉体的な演技で多くを物語っていることに、彼女の女優としての成熟が見て取れる。『アン・リー/はじまりの物語』は彼女がいなければ成立し得なかった作品だ。役者の演技が“全身全霊を傾けた演技”と評されることは多いが、本作でのセイフライドのそれは、まさにこの言葉に相応しい。必見。
文/相馬学
