“軍オタ”押井守が唸る『ウォーフェア 戦地最前線』徹底されたリアルな戦場「正しい戦争映画になっている」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」特別編】
独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。今月は特別編として、現在公開中のアレックス・ガーランド監督『ウォーフェア 戦地最前線』をお届けします。
ガーランド監督の前作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』(24)を連載第2回で取り上げた際には、「期待した“戦争映画”ではなかったものの、満たされた部分もある」と語っていた押井監督。同作で軍事アドバイザーを担当した米軍特殊部隊の経歴を持つレイ・メンドーサが共同監督を務め、イラク戦争での実体験をミリタリー識者も驚くほど極限まで再現した『ウォーフェア 戦地最前線』を、“軍オタ”の押井監督どのように観たのか?
舞台は2006年、アメリカ軍特殊部隊8名の小隊は、イラクの危険地帯ラマディで、アルカイダ幹部の監視と狙撃の任務に就いていた。ところが、想定よりも早く事態を察知した敵兵が先制攻撃を仕掛け、市街で突如全面衝突が始まる。退路もなく敵兵に完全包囲されるなか、重傷者が続出。部隊の指揮をとることを諦める者、本部との通信を断つ者、悲鳴を上げる者。負傷した仲間をひきずり放心状態の隊員たちに、さらなる銃弾が降り注ぐ。小隊は逃げ場のないウォーフェア(=戦闘)からの脱出を目指すのだった。
「戦時下に置かれた人間を描くことで、アクション映画ではなく正しい“戦争映画”になっている」
――今回は押井さんが「意外だった。これも裏切り映画だ」とおっしゃっているアレックス・ガーランドの最新作『ウォーフェア 戦地最前線』を取り上げてみました。押井さんはガーランドの前作『シビル・ウォー アメリカ最後の日』も「裏切られた」と言いつつ「いい意味で驚かされた」とおっしゃってましたよね。
「私はガーランドという監督はよく知らないんだけど、この2本の“ウォー・ムービー”を観た限りでは、戦争を題材にしていても違う動機で撮っているんだと思ったんだよ。キャラクターを“敵と味方”に分類してないし、どちらが正義という主張もなければ、痛快なアクション映画にもなってない。それがよく出ているのが設定の選び方。2本とも限定された状況のなかで描いているでしょ?そうすることでその状況に置かれた人間の心情が浮き彫りになる。敵とのドンパチを見せるんじゃなく、戦時下に置かれた人間を描こうとしているということ。だから、アクション映画になってないんです。
“戦争映画”と呼ばれたり、そうジャンル分けされる映画は多いけれど、そのほとんどはアクション映画だから。バンバン撃ちまくって、敵がバタバタ倒れて、危険を顧みないヒーロー兵士が活躍し、ついでに熱い友情があったりする。たとえば(スティーヴン・)スピルバーグの『プライベート・ライアン』(98)。Dデイの描写や戦闘シーンがリアルだと評価されていても、やっぱりアクション映画の域を出てない。もちろん、ニコラス・ケイジが出ていた『ウィンドトーカーズ』(02)なんかよりはマシだよ。ニコケイがガンガン撃ったら、日本兵がバタバタと倒れる。あんなことありえませんから」
――限定された状況を選んだことで、“戦争映画”と呼べる戦争映画が生まれたということですね。
「うん。戦争のなかの人間を描くにはそういう絞り込みがベストだと思うよ。戦争大作と呼ばれる作品、ソ連が作った『ヨーロッパの解放』(70~72)がいい例だけど、戦争映画って規模がデカくなればなるほどドラマが吹っ飛んじゃうの。手元の話が見えなくなって結果、将軍や政治家の話になってしまう。スケールアップすればするほど、戦争の本質が見えなくなるんです。アメリカの『遠すぎた橋』(77)や『史上最大の作戦』(62)等もその典型ですよ。
戦争映画となるとスケールが問われる傾向が強いものの、実際は違うというのが私の見解。戦争の本質を体現している末端の人間を描きたいのなら、目線を絞り、個人の視点で描かない限り永遠に目的は果たせない。戦争映画の難しさはそこにある。だから、このガーランドという監督の選択は正しいんです」
――じゃあ押井さん、“戦争映画”と呼べる作品ってあるんですか?
「昔はあった。(ロバート・)アルドリッチの『攻撃』(56)、(スタンリー・)キューブリックの『突撃』(57)、ドイツ映画の『橋』(59)もその1本に入れていいと思う。最近は技術の進歩でなんでも描けるようになったから、どうしてもアクション映画になっちゃうんだよ。そういうなかで選ぶと潜水艦映画の『U・ボート』(81)、戦車映画でいうなら『レッド・アフガン』(88)、そしてサー(リドリー・スコット)の『ブラックホーク・ダウン』(01)だろうね。『ウォーフェア』に近いのは『ブラックホーク・ダウン』で、サーも戦争を描こう、戦闘状態におかれたその極限を描こうとはしている。でも、やっぱりドラマは追求しているしヒロイックな要素もある。『ウォーフェア』は正確に言うとドラマじゃないでしょ」
――冒頭に「記憶だけで描いた」というようなテロップが流れますが、あまり見たことがないですよね。よくあるのは「これは事実に基づいている」みたいな文言です。
「あのテロップは、“生き残った兵士たちの話に忠実に描いたけれど、真実ではない”と言っているんでしょ。つまり、いまの時代の“ウォーフェア”を誠実に描こうとしていますと言っているんだよ。その結果として、偵察のために民家に突入し、敵に囲まれたらしい兵士たちの状況が、忠実に再現されることになった。兵士たちがどんな心理状態になって行くのか、一人一人反応が違うんだけど丹念に描いていたし、自分の部隊をなんとか助けたいから援助要請時にも嘘をつかせるとか、あまり見たことがないエピソードもあった。この映画の歩兵たちの目的は戦闘ではなく偵察だったんだから、あとは犠牲者を出さずにどうやって撤退するか。それこそが彼らのテーマなんだよ。だから、相手が撃ってきてまずなにをやるかといえば隠れる。機関銃を撃つのも敵を倒すためじゃなく、頭を出させないために撃つ。スナイパーの役割の大半は監視任務…そういう描写がとてもリアルだった」
――確かに、かっこよさとかヒロイズム的な要素はまるでなかったですね。
「もう一つリアルだったのは戦果確認の難しさ。いまの戦争は、戦闘が起きたら必ずそのダメージを確認するという作業がある。それが正しい数字なのかはわからないけれど、一つの根拠にはなるので、それによって全体の作戦を立てることもあるんだよ。ウクライナとロシアは、お互いの国を挙げての戦争だからそこに注力していて、相手がどれだけ戦闘能力を維持しているのかを知りたい。それこそがもっとも重要な情報になるんです。
国同士だとお互い発表するんだけど、相手が非正規の武装集団だとより難しくなる。本作では無人機などを使っていて、上空から絶えず赤外線映像で相手の兵士たちを調べていた。それでも、その人数がはっきりとは捉えられないから苦労している。アメリカ側の視点しかないのでそういう戦果確認の難しさがちゃんとわかるようになっている。戦争映画の多くは両側の視点を持ち込む場合が多く、そういう部分は描かれないからね」
――俯瞰からの赤外線映像、何度も出てきますが、そういう意味があったんですね。
「ほかの部隊と合流しようにも上手く行かないし、IED(簡易手製爆弾)で吹っ飛ばされた死体が転がっていたりと現場の状況は刻一刻と変化して行く。今度は航空支援を頼んだものの、あんたたちより先に支援を必要としている部隊がいると言われて、そこで嘘をついちゃう。さらに負傷兵ですよ。映画には2人登場するけど、負傷兵がいかに隊にダメージを与えるかもわかるじゃないの。ああいう状況の変化は相当正確に描いているんだと思うよ。『ブラックホーク・ダウン』でも、戦闘に勝利するよりも負傷兵を護送するほうが大事だということが描かれていたでしょ。遺体を残さず、必ず回収するというのが米軍の伝統。重症者の護送というのは現場の兵士たちの最優先事項でいうとトップなんです。相手にダメージを与えることより、自分たちがいかにダメージを受けないかのほうが重要なんだよね。とりわけ、このような市街戦では。なぜなら世論に響くから。戦争を維持するのは政治的な課題なので、相手が非正規部隊だったりしたら、他国ごとなんだからもう止めればになる。だから、ダメージを与えないのが重要になる。死体袋が続々帰って来ても平気なのは北朝鮮とロシアだけだから(笑)」

