映画のプロたちが“三者三様”で『港のひかり』をレビュー!制作陣、キャスト、ドラマ…視点を変えると見えてくる、本作の新たな顔

映画のプロたちが“三者三様”で『港のひかり』をレビュー!制作陣、キャスト、ドラマ…視点を変えると見えてくる、本作の新たな顔

孤独を誰とも分かち合えない者同士が出会う必然…人間の絆が生む奇跡(映画ライター、文筆業・奈々村久生)

※本レビューは、ネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)を含みます。未見の方はご注意ください。

元ヤクザの漁師が見ず知らずの少年に救いの手を差し伸べる。何の見返りも求めずに――。映画だからといって現代の日本でそんなことが起こり得るのだろうか?漁師の三浦はなぜ自らを犠牲にしてまで少年を助けようとしたのか、助けられた少年の幸太はそれによって何を受け取ったのか。ここではその謎を探求するミステリーとして、二人が織りなす人間ドラマを紐解いてみようと思う。

幼少期の幸太は絵に描いたような不幸を背負っている。ヤクザ絡みの事故で両親を亡くし、自らも事故の後遺症で弱視を患い、彼を引き取った叔母やその交際相手の男性には虐待を、同級生の少年たちからは心無いいじめを受ける。いじめの手口も、白杖をついて歩く幸太の前に漁網を広げて転ばせるというあまりにも古典的なもので、それゆえにえげつなさが際立つ。

一方、かつて任侠の世界にいた三浦は、“親父”と慕っていた先代の組長を亡くし、カタギとなったいまではその過去のために漁師仲間から嫌われ、家族も身寄りもなく歳を重ねている。

若頭だった三浦は過去を捨て、漁師になり孤独な日々を送っていた
若頭だった三浦は過去を捨て、漁師になり孤独な日々を送っていた[c]2025「港のひかり」製作委員会

二人の共通点は「孤独」だ。同じ漁村に住んでいる以外に何の接点もなかった二人だが、苦しみを誰とも分かち合えない者同士が近づいたのはある意味必然だったとも言える。特にこの場合、三浦と出会ったときに幸太の目が見えなかったことも、両者の間にある心理的距離感を一気に縮めたのではないか。幸太は三浦を「おじさん」と呼んでいるが、実際の年齢(設定では52歳差)や風貌は具体的に把握できていなかったはずで、だからこそ先入観を持たずに相手を受け入れ心を開けたのだろう。

とりとめもない会話を交わし、一緒にごはんを食べ、遊びに出かけてお揃いの土産を買う。そこに利害はない。三浦と幸太の間に生まれたのはまさに友情だ。たとえ他人でも、お互いに相手を想う時間の積み重ねによって、親密な関係を築くことができる。三浦は「不幸な少年を助ける」のではなく、かけがえのない友達である幸太の目に光を取り戻してあげたいと思い、自分の服役と引き換えに危険を犯して手術費を工面したのである。

この関係をさらに強固にしているものといえば、劇中で12年の時を経た後の二人の行方が描かれていることだ。この長いスパンは、特に幸太においては、目が見えるようになっただけでなく、少年から大人に成長して警察官になる夢を叶え、人間として大きな変化を遂げる時期にあたる。かたや出所した三浦は人生の集大成へと向かいつつある年月に差しかかる。そうなったとき、おそらく人は、自分がこの世に生きた証を残したいと思うのかもしれない。家族を持たなかった三浦にとって、それはつまり幸太の未来を守ることで成し遂げられる。変わりゆく時代と、そのなかでも変わらぬ友情。そして三浦は自分の罪を幸太の手にゆだね、幸太はそれに応える。確かに三浦は幸太を救ったが、救われたのは三浦のほうでもあったのではないだろうか。

『港のひかり』の魅力を映画のプロたちがクロスレビュー
『港のひかり』の魅力を映画のプロたちがクロスレビュー[c]2025「港のひかり」製作委員会

ちなみに三浦がヤクザから足を洗った後に組長の座についた石崎(椎名桔平)は、先代に寵愛されていた三浦を目の敵にしているが、根っこには“親父”の愛を受けられなかった者の孤独がある。誰かを愛するということは、他の誰かがその愛を受け取る機会を失うということでもあり、クライマックスの激しい吹雪にはそんな試練を乗り越えた三浦と幸太の絆の強さがうかがえるようだ。二人が守り抜いた友情の形をぜひ本編で見届けて欲しい。


構成/編集部

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