『パルテノペ ナポリの宝石』“美しさ”を多方面からひも解くクロスレビュー。時と共に失われゆく美の“その先”とは?
ソレンティーノ作品初の女性主人公、パルテノペと旅した観客のみがありつける秘境へ(映画文筆家・児玉美月)
ギリシャ神話のセイレーンの名であり、ナポリの街という意味である「パルテノペ」と名付けられた本作の主人公──そんな誰もがたちまち魅了されてしまうパルテノペを、オーディションで抜擢されたセレステ・ダッラ・ポルタが演じる。パルテノペは自らの美しさを自覚し、謙遜するよりも優雅な無関心をまといながら、周囲の羨望を蝶のようにひらりとかわす。ダッラ・ポルタは本作で本格的に銀幕デビューとなった新人俳優でありながらも、パルテノペの気品を余すことなく表現し、風格の演技を披露している。物語はパルテノペを中心に、単なる兄妹以上に親密なライモンド、恋仲となる幼馴染のサンドリーノの三角関係から幕を開けていく。
パオロ・ソレンティーノは『Hand of God 神の手が触れた日』(21)でも自身の故郷であるナポリを舞台に自伝的な物語を描いたが、本作ではフィルモグラフィにおいて初となる女性主人公となった。『Hand of God 神の手が触れた日』から引き続き、女性のダリア・ダントニオが撮影監督を務めている。劇中、肌の露出や官能的な描写も多いが、イタリアで最初に認定を受けたインティマシーコーディネーターのルイーザ・ラザロも製作に名を連ねた。ソレンティーノはこれまで男性視点の作品を手掛けてきた印象が強い監督だが、「現代のヒーローは男性ではなく女性だと信じている」という彼の言葉にも表れている通り、時代の潮流のなかで映画制作においても変化が垣間見える。
パルテノペという女性主人公の魅力は華やかなオーラと美貌にとどまらず、その知性にこそあると言えるだろう。例えば名付け親である提督から「もし私が40歳若かったら、結婚してくれるかね?」と聞かれたパルテノペは、「正しい問い方をしないと。私が40歳上でも結婚します?」と切り返す。こうしたウィットに富んだ会話もまた、本作が魅せる映画の愉悦のひとつになっている。
女性の内面や精神よりも容姿や身体ばかりが注目されてしまう社会を生きるパルテノペは、俳優としての道を歩もうと試行錯誤することもあったものの、学問の世界に身を捧げることを選び取る。映画はパルテノペの若さや「美」に誘われた数多くの男たちを瞬間的に登場させていくが、そのなかでも彼女が特別な紐帯を結ぶのが厭世的な人類学教授のマロッタ(シルヴィオ・オルランド)だった。彼はパルテノペに、人類学とは「見る」ということなのだと説く。パルテノペは常に否応なく周囲から視線を集めてしまう存在だが、同時に透徹したまなざしで人間を見つめる観察者でもあるのだ。
重要なのは、映画がパルテノペの若く瑞々しい季節のみにフォーカスを当てるのではなく、成熟した73歳までの長い時間軸のなかで彼女の人生を追うところだと言えるかもしれない。人が若さと外面的な「美」とされるものを失った時、そこに残されるものは果たして何なのか。物語は、決して皮層的ではない人生の深遠なる美しさを探求していく。一人の女性の誕生から晩年期までを目眩く夢のように描く本作は、愛と孤独の永きにわたる旅の果てに辿り着く境地を、彼女と旅を共にした観客のみがありつける秘境として提示するだろう。