フランシス・F・コッポラ監督が『メガロポリス』に込めた願いと“未来を予見する力”「人類がひとつの家族となって助け合い、次世代に幸せを届けたい」
「『メガロポリス』はほかの映画とはまったくの別物」
――本作のエンドクレジットの“Special Thanks”には、そういうアーティストの名前が並んでいます。盟友のジョージ・ルーカスを筆頭にギレルモ・デル・トロやライアン・クーグラー、ジョン・ファブローたちです。彼らとのコラボレーションは?
「言うまでもなく、ジョージは私のもっとも古いコラボレーターですよ。もう弟のような存在で、お互いにサポートするような関係性です。ほかの若いクリエイターたちもいろいろとサポートしてくれました。私のような老木が倒れても、彼らのような若い樹が育つのは重要なことです。私の息子のローマン(・コッポラ)もサポートしてくれたし、バリー・レビンソンやスティーヴン・ソダーバーグもやってくれた。私もスティーヴン(・スピルバーグ)のように若い才能を支援したいんです」。
――そういう若手のなかで、ご自分と同じ資質を感じる監督はいますか?
「いやあ…そうですね…。若くはないんですが、同じイタリア系のマーティン(・スコセッシ)でしょうか、やっぱり(笑)」。
――あなたは本作を撮るために大きなリスクを背負いました。それについてはどう考えていますか?
「『メガロポリス』はほかの映画とはまったくの別物でした。ほかに例のないような作品だったので様々な試みを試しましたし、そうすべきだとも考えていました。例えば役者との関わり方。出演してくれた役者全員が真の協力者です。自分の役割を演じるだけではなく、そのシーンの編集にも参加しました。すべてを一緒にやったんです。私はみんなと1本の映画を作ったという強い感覚をもっています。私たちは“チーム”だったんです。
もうひとつの理由は後悔したくなかったからです。私は、死ぬ間際に『ああ、あれをやればよかった』ではなく、『あれをやっておいてよかった』と思いたい。私はその時、自分が望むワインを作り上げたこと、娘がオスカーを受賞する姿(ソフィア・コッポラが自身の監督作『ロスト・イン・トランスレーション』で2004年にアカデミー脚本賞を受賞)を見たこと、そして、こうやって映画を完成させたことを思い出すでしょうね」。
取材・文/渡辺麻紀