フランシス・F・コッポラ監督が『メガロポリス』に込めた願いと“未来を予見する力”「人類がひとつの家族となって助け合い、次世代に幸せを届けたい」
願いは「人類がみんなひとつの家族となってお互い助け合うこと」
――“私の願い”とはなんでしょうか?
「人類がみんなひとつの家族となってお互い助け合うことです。いまは『国』で分かれていますが、私の夢は文化や音楽、芸術や食を維持したうえで国境をなくし、ひとつの家族になることです。そもそも地球は私たちの『家』であって国境などはないはず。でも、そういう概念を生み出したのは私たち人間なんです。私は86歳で、ひ孫もいます。本来ならば、楽園のような世界を次の世代に残せるはずだったのですが、こんなふうになってしまった。権力の間違った使い方、地球に対しての環境破壊、そういうことを考え直し、次世代の子どもたちに幸せを届けたいと思っています。私たちは、絶対に幸せな世界と社会を築けるはずです。この映画は、そういう私の考えであり願いに基づいているのです。子どもたちのなかに、将来のクロサワや(セルゲイ・)エイジェンシュテイン、モーツァルト、ミシマ(三島由紀夫)のようなアーティストがいるかもしれないでしょ?」
「人間は誰しも天賦の才をもっていると信じている。私の場合は未来を予見する力」
――あなたはこの映画を寓話性が高いといい、実際に「寓話」というサブタイトルをつけています。でも、あまりにもいまのアメリカを予見していて「予言の書」というほうがふさわしいのではと思ってしまいました。
「それは正しいと思います。私は、人間は誰しも天賦の才をもっていると信じていて、それが私の場合は未来を予見する力なんだと思っています。私の映画が製作から歳月を経ても観てもらえるのはそこ。つまり、未来を予見しているからなのではないか、ということです。例えば『カンバセーション…盗聴…』(74)です。製作当時は『盗聴』ってなに?くらいの認識でしたが、それから10年後にウォーターゲート事件が起き俄然、真実味を帯びたんです。将来に意味を持つ映画ということではこの『メガロポリス』も同じです。いまのアメリカのリーダーは、共和制を崩壊させ王国を創ろうとしてようにも見えますよね?私は、民主主義、共和制を失い独裁者が生まれる気配を感じています」。
――いまアメリカに暮らしていて、いかがでしょう?
「いや、本当に恐ろしい。果たしてアメリカの国民がこの状況をどれだけ理解しているのか?ちゃんと理解していれば希望はありますが…あまりにばかげた状況で、ジョークにすらできないくらいですよ」。
――そういうなかで、メガロポリスのような理想的な都市を築けるのはアーティストだと、あなたは本作で言っていますね。
「そうです。決して政治家ではありません。私はそれができるのはアーティストだと思っています。彼らの役割は現代の生活に光を当てること。ヘッドライトになることであり芸術を創造することです。現代アートではなく芸術ですよ。現代アートは、自分たちが食べるにもかかわらず栄養のないハンバーガーを作っているようなものですから。私の希望は、アメリカのアーティストたちがいま起きていることに光を当て、人々に見せることです。なぜなら、見えなければ行動は起こせないから。私はその昔、舞台や映画を手掛けた高名なプロデューサーのジョゼフ・パップに、プロジェクトを選ぶ基準について尋ねたことがあります。彼は忘れられない答えを返してくれました。『私はいまの生活を照らすようなプロジェクトを選ぶ。それがアーティストのすべきことだと思っているから』と」。