映画では語られない、リーの人生のポイントも紹介『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』メイキング映像
(1)またたく間にトップモデルへ!
1907年4月生まれのリー。ニューヨークで生まれ育ち、写真愛好家の父の影響で子どもの頃から写真が身近な存在だったそう。18歳になってパリに渡ると、ファッション界の巨匠コンデ・ナストと運命を帰る出会いをはたす。その後、「VOGUE」誌の表紙に抜擢。またたく間にトップモデルとして活躍していく。
(2)写真家としての才能を開花!
1929年、22歳でパリに渡りマン・レイの弟子となり写真家へ転向。シュルレアリスム・フォトグラフィーを学ぶなかで、レイと共にソラリゼーションと呼ばれる撮影技法を発見する。パブロ・ピカソ、ジャン・コクトー、サルバドール・ダリら時の天才たちと親交を広げ、レイから独立したのちに、ニューヨークで自身のスタジオをオープン。写真家としても大きな成功を収める。
(3)20世紀を代表する偉大な報道写真家へ
1939年、英国版「VOGUE」のカメラマンとして戦時下のイギリスを記録。その後、アメリカの従軍記者となり、第二次世界大戦の最前線へと赴く。本作で描かれるのは、この頃のリーの姿だ。リーは砲弾が飛び交うなかを駆け回り、歴史的写真を数多く激写。1945年4月30日、ヒトラーが自死したその日に撮られた“ヒトラーの浴室”以外にも、史上初めてナパーム弾が使用された瞬間を収めたものや、ダッハウ強制収容所が解放されたその⽇に捉えられた凄惨な現実を記録する写真の数々など、歴史的記録を残して20世紀を代表する報道写真家として歴史に名を刻んだ。
(4)傷つきながらも生きた母親の一面
戦前から帰国し、イギリスの自宅へと戻ったリーだったが、戦争の残酷さを目の当たりにしたことが原因でPTSDを発症。心の傷に苦しみ、自らが記録した戦時下の写真を自宅の屋根裏に封印してしまう。その頃、一人息子のアントニーを出産。戦時中のトラウマにも負けず、母として彼を立派に育て上げた。結果として、リーの死後、アントニーが屋根裏に隠された4万枚の大量の写真を発見。彼女の功績が広く世界に広めるために尽力し、アントニーは、いまもなお、リーの偉業を守るべく人生を捧げている。
(5)いかなる時も人生を謳歌することを忘れない強さ
晩年、心の傷に苦しんでいたこともあったリーだったが、パワフルな彼女はいかなる困難にも立ち向かう強靭なマインドでその傷すらも受け入れ、人生を謳歌することを選択した。なんと、戦後の彼女は写真家からさらに転身し、世界的に有名な料理、製菓の教育機関であるル・コルドン・ブルーで料理を学び、料理研究家としての顔も持つ。その芸術的センスで独創的な料理を作り上げ、英国版「VOGUE」に紹介されたこともあり、さらには、戦後の当時は珍しかったであろう美容整形や自分改革にもチャレンジしていたそう。一方、友人のピカソなど身近な友人のポートレイトを撮り続けるなど、写真を生涯愛したのではないだろうか。
主演、製作としてリーを徹底的に調べ上げたウィンスレットも「あの時代よりもいまの時代の感性で生きていた。時代を先取りしていたのではもはや足りない」と、時代や風潮に囚われず、自分の気持ちに正直に生きたリーの人生に脱帽する。彼女の型破りな生き様と情熱的なマインドは観るものに勇気を与えてくれること間違いなしだ。ぜひ20世紀を代表する偉大な報道写真家、リー・ミラーの情熱的な知られざる人生を描いた映画『リー・ミラー 彼女の瞳が映す世界』を映画館でご覧いただきたい。
文/山崎伸子