『名もなき者/A COMPLETE UNKNOWN』にみる、ボブ・ディランが纏った3つのアメリカ・ファッション
イギリスを旅したディラン。1965年、伝説が始まる
最後が「1965年」だ。作中でも、1965年とテロップが入った途端、ディランの様子とファッションがガラリと変わっていることがわかるだろう。64年と65年の間に、何があったのか。作中では描かれていないが、ディランはイギリスへ行ったのである。音楽の方向性については本作で知ってもらうとして、ファッションとしては、このころから親交を深めたスコットランド出身のシンガーソングライター、ドノヴァンやビートルズの影響を受けていることは一目瞭然だ。
ディランが、彼らから影響を受けたことを公に認めることはないだろう。特にドノヴァンはライバルとされていた。しかし、ドノヴァンもガスリーに多大な影響を受けていることを公言しながらも、フォークにロックを取り入れて、つまらなく線引きされたジャンルの垣根を超えようと奔走した意味では、仲間に近かっただろうし、ドノヴァンがパフォーマンスで着用したポルカドット柄のシャツは、少なくともコスチュームデザインを決定するうえで、本作チームのインスピレーションになったのだろう。
このころから定着されていく、“ロック・ミュージシャン”としてのディランのファッションは、明らかに当時ビートルズやロンドンの若者の間で流行したモッズである。特にボトムのラインが細身のスーツ、シェイプに特徴のあるイタリアンカラー(襟)、チェルシーブーツ。ただ、モッズのユースカルチャー自体がアメリカの影響も受けており、モッズコートはアメリカ陸軍が採用したミリタリーパーカであるし、ピーコートについた肩章も軍を連想させるもの。
そしてこの期を代表するアイテムが、レイバンのサングラスだ。レイバンは、1936年にアメリカ・ニューヨーク州の光学メーカー、ボシュロム社がスタートさせたブランド。(1999年に売却されたため、現在は、本拠地をミラノに置くイタリアのブランドとなっている) 1929年、アメリカ空軍から、光を遮断する(=レイ・バン)パイロット専用のサングラスの製作を同社が依頼され、開発したアビエイターがその歴史の始まりだ。ディランが愛したのは、そのアビエイターではなく、角ばったシェイプのウェイフェアー。この黒のサングラスは、ディランファッションの代名詞ともなり、その後長く続くことになるロック・ミュージシャンとしての居場所と、ディラン・スタイルを確立させていく。
本作のなかで描かれているのは、音楽にしてもファッションにしても人間関係においても迷い、“転がる石のように”翻弄されて変化していったディランだ。現在は唯一無二とも評されるアーティストだが、結局ボブ・ディランがどのような人物なのかを説明するのは難しい。アルバムのタイトルでは、ラブストーリーを自分のアナザーサイド(別の側面)だと素直に表現したかと思えば、革新的なロックのサウンズを取り入れたフォークのアルバムには、ホーム(に持ち帰る)と名付けたりする。本作の締めくくりで、印象的に流れる「さよなら、出会えてよかった」は、青春や、もう二度と戻らないディラン自身への想いでもあり、成功を追い求めながらも、ずっと名もなき者でいたかった、偏屈でシャイなディランを奏でたのではないだろうか。
文/八木橋 恵