神谷浩史が懐かしさを覚えた『劇場版モノノ怪 第二章 火鼠』のアフレコ事情「一番ホットなタイミングで収録できた」
「息のアドリブをほぼ入れないほうが成立しやすい」
すると台本を開き、具体的なセリフを挙げて解説する。「たとえば『フキ…!!』というこのセリフ。ト書きには“やや力がこもり”と書いてあります。セリフには三点リーダーとエクスクラメーションマークがあって、ここに(イラッ)と指定があれば『なにかしらの息をください』という意味。グッと手に力が入るところで、憤りの息を入れたりすると効果的だったりします。ただ、手の芝居は(画が)してくれているから、なんとなくフキの憤りというのは伝わっているはず。そこにプラスアルファでわかりやすいように息で『ふーっ』って、ちょっと憤った音を入れることにより、キャラクターが立体的に見えたりします。この指定があればともかく、なかった場合の判断が難しいんです」とのこと。
では、指定がない場合の判断は、誰がどのタイミングで行うのだろうか。「役者の気持ちとして入れたほうがいいと判断をするのか、テストをやった段階で監督から『ここに息をください』などと言われるのか、感じたことややろうと思っていることを自己申告したうえでやるべきなのか、それとも誰もなにも言わずに流れでやっていくのか。実はこのハンドリングを誰がすべきなのかは明確ではないんです。こういった指定がないところにどの程度アプローチしていくのかは、もしかしたら役者に委ねられているのかもしれないのですが、そうなると、当然役者によって自分からやる人とそうでない人が出てきます。相談しながらやればいいって話だけど、特に新人さんとかだと、やっていいのか、ダメなのかもわからなかったりするから、判断の難しさはよりあると思います」と、アフレコでのやりとりに触れる。
「僕もキャリアを重ねてきて『ここは入れたほうがよさそう』『ここは入れなくていい』という判断を自分でしたうえで、1回テストをやってみる。そこでなにも言われなければそのままやるし、リクエストがあれば調整するし、なにか気になることがあれば質問をする。そういうやり方で息のアドリブの“差し引き”をしています。薬売りの場合はほぼ入れないほうが成立しやすいというか、よりなにを考えているのかわからない感じがするんですよね(笑)。ものすごい跳躍しているシーンがあったとしても、ジャンプをするきっかけの『うっ!』という息のアドリブを入れないほうが、とんでもない超人的な力を表現できる。筋肉の能力で飛んでいるのではなく、超自然現象のなにかで跳んでいるようなニュアンスが出せるんです。その跳躍をどう見せたいのか。身体能力の高さなのか、彼の力の不思議さなのか。“見せたい”のバランスは監督次第ではあるんですよね」とニッコリ。
「もちろん相談しながらやるんですけれど」と前置きし、「役者である僕が表現できるのは音でしかないから、(息のアドリブを)入れたほうがおもしろい、薬売りの身体的な能力の強さを見せたいと感じたら足しています。いらないと言われたら消すし、入れておいてダビング時の判断に委ねることもあります。だから極力引き算で作っておきながらも、自分なりに入れられるところは入れておく。あとは、監督に引き算してもらうケースもありますね」と息遣いひとつをとっても細部まで調整されて出来上がっている作品であることがわかるエピソードを明かした。