見えない“運命”を揺さぶった、“偶然”の出会い『急に具合が悪くなる』【小説家・榎本憲男の炉前散語】
人を別の生へと導く“偶然性”
僕は、濱口監督が真理を演出家として設定したのは、ただ身体性を持たせるためではなく、この偶然性を映画内演劇の中で生み出そうとしたからだと捉えています。会場には、演者の吾朗(長塚京三)の孫である智樹(黒崎煌代)がいる。彼は重度の自閉症を患っています。なので、予期せぬ行動を取り、舞台に上がってきたりする(かもしれない)。起こるかもしれないし、起こらないかもしれない磁場が、場内に作られています。また、観客に渡されたタンバリンなどの打楽器が、思い思いのタイミングと強弱で鳴らされることが、そのまま劇中の音楽となっていることもそうだと言えるでしょう。もうひとつ、単なる偶然とは思えないような偶然が起こります。ふたりが川沿いを歩いていると、ポトリと鳩の糞が落ちてくる。まあ、あるといえばある。けれど、それが真理とマリー=ルーの頬と額にほぼ同時に落ちたというのは、起こらないとは言えないけれど、まずは起こらないことでしょう。また、真理が午睡している部屋の窓が開いていて、そこから鳩が舞い込んでくるシーンがあるのですが、この鳩はあの糞を落とした鳩じゃないかと思ったりもしました。ともあれ、偶然の出会いは、ふたりを存在論的に変えはじめます。いささか我流な解釈で専門家には怒られるかもしれませんが、九鬼周造の「偶然性」は、単なるランダムな出来事ではなく、必然的な生の流れに亀裂を入れ、人を別の生へと開く契機だと僕は理解しています。
運命を規定する“構造”を揺さぶるほどの出会い
さて、マリー=ルーは真理を介護施設「自由の庭」に誘い、真理はマリー=ルーの夜勤の合間に資本主義論を語り始めます。資本主義が都市化を生み、その外に広がる自然を市場化し、それを食い尽くしてしまうと、資本の膨張システムである資本主義は限界を迎える。それを打破するために残る手段は戦争だけだ、などと語り合う。この資本主義論自体に目新しいところはありませんが、マリー=ルーが“構造”という言葉を持ち出し、自分たちが構造に囚われていることこそが問題だという主張には、興味を惹かれました。
構造とはそこに生きる私たちを規定するものです。意味も、欲望も、アイデンティティも、すべて構造によって配置され、「私」が構造を構築するのではなく、構造が「私」を規定する――これが構造主義の根底にある考え方です。そして、ポスト構造主義が登場し、構造主義への批判や修正は数多く試みられてきましたが、しかし、なお私たちは、構造から完全には逃れられていないのです。マリー=ルーの“欲しいもの”は具体的にはユマニチュードの本格的な実践であり、これは抽象的なレベルでは、最後の時まで人間的な生をまっとうできる社会をつくることです。けれど、どうあがいても、構造は変わらない。なぜなら、その構造に力を与えているのが資本主義だからです。マリー=ルーが“欲しいもの”を手に入れるためには、マネーが必要です。ユマニチュードによるきめ細かなケアの実現は、今よりずっと多くのスタッフを要請する。しかし、マネーは資本主義(市場原理)に則って動き、それが構造を作っている。そして、構造の中で市場の合理性にそぐわない“欲しいもの”は押しつぶされていく……。
しかし、それでも、ふたりの出会いは構造を揺さぶりはじめます。マリー=ルーはソフィに謝罪し、ロードマップを見直すことを表明します。そして、ここに真理がからんでくる。彼女はアニマーターという役割で施設の中で活動しはじめ、ケアする側とケアされる側の境界線を溶かしはじめる。そして、この流れは、彼女の具合が急に悪くなっても止まりません。いったん京都に戻った彼女は、主治医に、「確率論を装った〈弱い〉運命論」に従って合理的に行動することを勧められますが(このようなサジェスチョンも構造の一部です)、マリーとともにパリに戻る。そして、ラスト近くの「自由の庭」での公演では、ケアする側とケアされる側がかぎりなく曖昧になるのです。
偶然性とは、偶然に出会うことによって、生き直すこと、自己を再生することではないでしょうか。マリー=ルーとの出会いは彼女に「延命」をもたらしはしなかった。けれど、彼女との出会いによって真理は再生した。不治の病に侵されたヒロインに僕は再生の物語を見たのです。
文/榎本 憲男
[c] 2026 Cinéfrance Studios – Arte France Cinéma – Office Shirous – Bitters End – Heimatfilm – Tarantula – Gapbusters – Same Player – Soudain JPN Partners
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語
