見えない“運命”を揺さぶった、“偶然”の出会い『急に具合が悪くなる』【小説家・榎本憲男の炉前散語】
小説家で、映画監督の榎本憲男。銀座テアトル西友(のちに銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人など、映画館勤務からキャリアをスタートさせた榎本が、ストーリーを軸に、旧作から新作まで映画について様々な角度から読者に問いかけていく「小説家・榎本憲男の炉前散語」。第16回は、『ドライブ・マイ・カー』(21)でアカデミー賞国際長編映画賞を受賞した濱口竜介監督の最新作『急に具合が悪くなる』(公開中)をピックアップ。原作の内容も踏まえながら、“偶然性”や“構造”といったキーワードをもとに、その物語を読み解いていきます。
※本記事は、『急に具合が悪くなる』のネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)に該当する要素を含みます。未見の方はご注意ください。
「〈弱い〉運命論」に抗う学者ふたりの挑戦
最初にお断りしておきます。このコラムの方針は、映画をストーリーから論じるというものです。映像表現の豊かさを排してストーリーから映画を語ることが無粋であるのは承知の上での試みです。また、作家の他作品との関連は語りません。また、俳優論も排除します。ただその作品から受け取ったものを、ストーリーを中心としながら、行動よりもむしろ欲望に焦点を当てて語る、という基本姿勢を貫いています。
なので、原作があっても、それを参照したりはしなかったのですが、今回は例外です。僕は宮野真生子・磯野真穂による「急に具合が悪くなる」を映画観賞前に読んでいました。「予習」ではなく、原作そのものに興味を持ったからです。とはいえ、同書を手に取ったのは濱口竜介監督による映画の完成後で、宣伝がはじまった頃でしたが。ともあれ、今回に限っては原作と映画の関係を考えることも有効だと思い、原作も参照しつつ映画を語ってみたいと思います。
原作は、ステージ4の乳がんを患っている哲学者(宮野)と人類学者(磯野)で交わされた往復書簡です。宮野の乳がんは寛解の可能性がなく、いつ何時「急に具合が悪くなるかもしれない」状況にあります。そして、具合が悪くなってしまえば、あとは確率論に基づいた医療プロセスが用意されます。医者は確率論に則って合理的な余生を生きることを患者に薦めます(ここは宮野の医師がそうだということではなく、一般論です)。そうすると、私たちは、確率論的な未来から導き出された今の生(ライフ)を生きなければならなくなります。コロナ禍における私たちの生活はまさしくそのような色合いが濃厚でした。外出をすれば感染の確率が高いと言われてステイホームし、外食は危険視され、飲食店が時短営業を強いられたのは遠い過去のことではありません。
このように、医療現場には、確率論のレトリックを用いて合理的な行動へと誘導する、見えない構造(医師の説明やレトリックを含む)があり、それを人類学者の磯野は「確率論を装った〈弱い〉運命論」と呼んでいます。また、宮野はその閉塞感を自分が研究してきた近代の哲学者、九鬼周造の思想で打破しようとする。つまり、この書簡での会話は、死を合理的に整備する現代社会で、生を充実したものにしようとする学者ふたりの挑戦だと言えます。
しかし、これだけ思弁的な原作で映画を撮るのは挑戦的でしょう。映画はアクションで語るべしと言われ、べらべらと長い台詞が続くと「映画的でない」とか「台詞で説明している」などと批判が飛んできがちです。なので、ステージ4の癌患者である真理(岡本多緒)が現代演劇の演出家であり、彼女と出会い、ともに生の充実を探ろうとするパートナーのマリー=ルー(ヴィルジニー・エフィラ)は、パリで認知症の介護にたずさわる医療従事者になっています。これは納得できる設定ですね。ただ、がんと戦う演出家にはソルボンヌ大学で哲学を、介護のスペシャリストには早稲田大学で文化人類学を学んだというアカデミックなバックグラウンドは残しています。よってこの映画はなかなかに饒舌なのです。
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語
