酒井善三監督&大森時生プロデューサーコンビが解説する、映画『遺愛』がもたらすねじれた瞬間の面白み「なんでもないシーンこそ怖い」
「狭い空間で息詰まる感じを映像として空気感に持ち出すことが、抜群にうまい」(大森)
——映画が完成し、新しい挑戦を改めて振り返った感想をお聞かせください。
酒井「楽しかったです。楽しかったですけれど、きっと宮崎くんにはシナリオライターとしてのフラストレーションはあっただろうなと思うところも、正直あります」
大森「酒井さんから『新しいステップとしてやってみたい』という提案だったので、僕としては、今回はそのやり方がいいと思うならそれがいいのかもしれないということで、おまかせする形でした」
——なるほどです。主人公の山下リオさんのお芝居もとても印象的でした。
酒井監督「山下さんでなければ成立しなかったと思っています。本当にすばらしいお芝居をしていただきました。感情的なものになることは想像していませんでした。僕は、脚本に感情を書くことがあまりなくて。たとえば、写真の裏のメッセージを見て泣き崩れる、とは書きましたが、それ以外は一切、ここで泣くと書いていません。でも、姉妹2人の会話はすごく感情的なシーンになっています。妹の杏里はとても難しい役どころです。というのは杏里については過去のことが一切(脚本に)書いていないからです。小川(あん)さんには一応、杏里の過去、心の内についてのメモをA4数枚にまとめて渡しました。ただ、これが映る必要はないというお話をした上で、渡しています。いざ2人のシーンが始まったら小川さんの感情がまず立ち上がり、山下さんはそこに呼応して。見ていて本当にすばらしいと思いました。面会室でのシーンもまったく同じ。なんの指示もしていないのに、2人とも感情をリアルに持ってくださった。2人にしかできなかったシーンです」
——現場取材でフライパンの撮影シーンを拝見しました。光の入り方など、すごくこだわって準備されていたのが印象的でした。
酒井監督「あのシーンはすごくイレギュラーだと思います。特に母親役の藤井(京子)さんに関しては“なにもしない”シーンで。やったのは“ただ見る”ということ。僕が手を挙げたタイミングでどの方向を向くのかをお願いしました。なにもしないことが恐ろしく感じるようにしたかったシーンなのですが、藤井さんでなければ出なかったなんともいえない恐ろしさが生まれました。光については、照明の西山さんが自然光を交えながらどうやって光を切っていくかを苦労したシーンです。僕は直前までカット割りを決めません。そんななか、どのように光を作るのかというと、どこから撮ってもいいように作ってくれるんです。僕は一般的な商業映画の作り方はあまり知りませんが、今回は特に照明、撮影、装飾、メイクや衣装。みんながコミュニケーションとバランスをとりながら、時間がないなかで、すばらしいチームワークで挑んでくれたシーンだと感謝しています」
——とても広いお家でのロケでしたが、あのシーンはとても狭い場所でしたね。
大森「あのシーンは特に狭い場所でしたね。酒井さんは映画『カウンセラー』でもそうですが、狭い空間で息詰まる感じを映像として空気感に持ち出すことが、抜群にうまい。酒井さんのチームはそういうことをやってくれます。現場で遠巻きに撮影を見ていたシーンでしたが、映画のなかで1個のピークとなるような、空気感の狭さや微妙な照明による閉塞感が映像にも滲み出た気がします」
——あの狭い空間の撮影で、とにかくいろいろなことをやっている印象を受けました。
酒井監督「貧乏性というか(笑)。間が怖くて、なにかやっていないとあっという間に飽きられちゃうぞ!という恐怖感があって」
——いろいろなことをやっていても、サラッとシンプルに映していましたね。労力に対して映るシーンがシンプルなものも多いような気もしますが、酒井監督のなかでの線引きのようなものはあるのでしょうか。
酒井監督「狙ったものって意外とうまくいかないので、なるべく狙わないようにしています。脚本にするときは貧乏性であれこれ詰め込むのですが、映像化する時には狙いすぎないようにしています。だから現場でカットを割っているということもあります」
大森「酒井さんの作品の一番の良さは、不安や不気味さのようなものがすごいところ。そこの緊張感が独特なのは、ストーリーテリングにおいては、論理的にどうしたら嫌な気持ちになるとか、どうして人がそういう風に追い込まれるかっていうところを結構緻密に設計されているからです。『遺愛』にある呪いのルールとかも、結果、あまり関係なかったみたいな話にはなっていますが、そこのルール設計もかなり緻密。だからそれが外される時に絶望感を得られる。観客からすると、論理と直感のバランス、リズムがちょっと崩される瞬間みたいな、なんでもないシーンこそ怖いって感覚に繋がっているのかなと思っています。だから誰かが死ぬシーンよりも、お母さんにご飯をあげているシーンのほうが不気味みたいな、ねじれた瞬間が起きる作品だと感じています」

