酒井善三監督&大森時生プロデューサーコンビが解説する、映画『遺愛』がもたらすねじれた瞬間の面白み「なんでもないシーンこそ怖い」
配信ドラマ「フィクショナル」や短編映画『カウンセラー』の酒井善三監督と、「イシナガキクエを探しています」を始めとする「TXQ FICTION」の制作や、全国の累計動員数50万人以上を動員している「行方不明展」「恐怖心展」といった展覧会イベントを手掛けるテレビ東京プロデューサー・大森時生のタッグで、呪いを新たな視点かつ斬新な解釈で描くホラー映画『遺愛』が6月19日より公開中だ。父の死を機に実家へ戻り、母の介護を始めた佳奈。母との時間を取り戻すかのように献身的に介護をするが、周囲で起こる異変に、次第に違和感を覚えていく。
主人公の佳奈を演じるのは山下リオ。慈愛に満ちた介護のはずが、徐々に不穏さと違和感が混在したような、ただならぬ恐怖に飲み込まれていく。佳奈と母は、呪われているのか?母は母ではない“ナニカ”になってしまったのか?介護を通じ、パラノイア的な恐怖に苛まれていく佳奈を、文字通り“憑依”されたかのような狂演で体現している。観終わって、なんとも言えない恐ろしさが残る本作は、どういうかたちで制作されたのか?その裏側や映画の細部に込められた意図について、酒井監督と大森プロデューサーに話を訊いた。
「僕らとしては新しい挑戦であり、イレギュラーな作り方でした」(酒井)
——企画の出発点から伺います。プロデューサーの大森さんからはどのようなオーダーがあったのでしょうか。
大森時生プロデューサー(以下、大森)「いつも酒井さんと企画する時は、ブレストという感じで、『こういうテーマが気になるよね』と話しながら最初にテーマ案を出し合います。その流れで僕のなかで気になるテーマとして“親子愛”があって。なぜかというとその直前にたまたま教育虐待を受けていた娘が母親を殺してしまった、というノンフィクションのルポのようなものを読んでいて、親子愛にはそういう側面もあるよなと考えていました。こういう風に育ってほしい、すくすくといい子に育ってほしいという愛がねじれた結果、虐待という形になることもあれば、逆にそのルポのように最終的には子が母親を殺すという悲劇で終わってしまうこともある。もちろん極端な例ですが、親子のなかにある愛の歪さは、自分に置き換えてもなにかしらの形で抱えているよね、といった雑談をしていた時に、酒井さんが、被害を受ける恐怖よりも加害をしてしまうことに身につまされるという話をしていて。その2つのワードがいいトピックかも!という話になって、映画の材料のようなものになり、酒井さんが組み立てて、いまのストーリーが出来上がりました」
——そこに「介護」というキーワードも絡んでくるわけですが、物語はどのように出来上がっていったのでしょうか。
酒井善三監督(以下、酒井)「いまの大森さんのお話にもあったように、その2つのテーマを入れてなにか作ろうと思った時に、『呪ってしまった』とか、『呪ってしまったと思い込んでいる』人を主人公にしたらおもしろいと感じて。善意でなにかをしたら、それがどうも呪いだったのではないかと思い始めるとか、善意の共犯関係があるといいなと考えました。共犯のもう1人が、どういう人ならいいだろうと考えた時に、大森さんから出た“親子愛”を結びつけて、自分を喪失しているかのような症状にある人をケアする過程で、そういった感情を抱いてしまう。それは加害者側のサスペンス要素になると考えて、このシナリオに行きつきました」
——これまでのトークイベントなどで、雑談からアイデアが生まれるというお話をされていましたが、今回もその形でこの物語が誕生したのですね。
大森「今回は、酒井さんが最初に結構しっかりしたプロットを持ってきてくれて。2か月くらいは一切連絡を取らなかったのですが、次に話した時にはものすごく長いロングプロットが出来上がっていました(笑)」
酒井「急かさないでくださったので、じっくり取り組むことができました。アイデア出しから2か月後の最初のプロットには、大森さんのアイデアもしっかりと入れ込んだつもりだったので、提出した際には『これでいけますかね?』『もうこれでいけそうですね』という合意が2人のなかにありました」
——そのロングプロットがそのまま脚本になったという流れでしょうか。
大森「わりとそんな感じでした」
酒井監督「脚本の宮崎圭祐くんのアイデアやロケ地なども、決まってきたものから盛り込み、ブラッシュアップしていきました。流れ自体は、まんまプロットです。これまで脚本は9割9分自分で書いて、困った時は大森さんや宮崎くんにアイデアをもらうといったことをやっていましたが、今回は僕と宮崎くんのステップアップということで、互いに新しい経験をしなければいけないという気持ちもあったので、僕のロングプロットをもとに初稿は宮崎くん一人に書いてもらいました。しかしこれは僕自身の力不足が原因なのですが、自分以外の脚本では撮れない、一度自分の癖みたいなものに戻さないと…というところがあり、改稿からは僕の方でやらせてもらいました。宮崎君の初稿ではいいセリフもいっぱい書いてもらいましたし、最後までそのいくつかは使わせてもらいました。僕らとしては新しい挑戦であり、イレギュラーな作り方でした」

