濱口竜介監督×ヴィルジニー・エフィラ×岡本多緒が分かち合う、『急に具合が悪くなる』で実践された“多言語”や“長回し”がもたらした「豊かさ」
「演出したのが自分であっても、それを超えたものが映っている」(濱口監督)
――自然に感じさせる会話の応酬、それを見せる“長回し”という手法から、今作でも濱口監督の“ドキュメンタリー的なアプローチ”を指摘する声を耳にするのですが、私は異なる印象も持っています。例えば、介護施設における会議のくだり。多くの職員がマリー=ルーの言葉に耳を傾けるショットでは、職員全員の表情が見える。つまり、1人として被写体と被写体が被っていません。座り位置をコントロールしているからだと思うのですが、それが作り込んだ不自然なものではなく、自然に見せている点がすばらしく。だからこそ、自分たちもその場に立ち会って、彼らの話を聞いているような感覚を導いている。そのことが原作の“書簡”という要素を“対話”に置き換えることにも繋がっている気がしました。それはどこまで意識されたことなのでしょうか?
濱口「いくつか答え方があると思うのですが、いまおっしゃったようなことでいうと、例えば会議中に人をどこへ配置するか?とか、椅子をどこに置くか?は、ある程度調整が利くのですが、基本的にはそこまでやっていません。では、どうしているのかというと、カメラのほうを常に動かしています。撮影のアラン・ギシャウアに対して常に言っていたのは、『カメラを動かすより人を動かすほうが簡単なのは明らかですが、カメラの都合で人は一切動かさないでください』ということでした。いいところに来てほしかったら、『まずはカメラ位置を調整してほしい』もしくは『椅子の置き方を変えるなどしてほしい』といった要望を伝えていました。そこまで厳密に作り込んだというよりは、どちらかというと偶発的なことが起こるような準備をひたすらしたということ、プラスそれが起こるまで何テイクもやったということですね」
――例えば、長回しで撮影している時に台詞を間違えたらはじめからやり直すといった話を聞いたことがあるのですが、偶発的なことを優先する場合もあるということなのでしょうか?
濱口「はい。まあでも、両方のパターンがあったと思いますよ」
――先ほど話した『PASSION』は偶発的なほうを優先した例ですよね。
ヴィルジニー「彼は本作でもずっとそういうやり方でしたよ」
濱口「疲れが明らかなら、途中からということもあったと思います。それは状況次第で集中力が続くのに一番いいと思えることを選択しています。例えば、集中力が切れているようなタイプのNGだったら、一度仕切り直して、最初からやったほうがいいことが多いと思います。だけど、集中しているからこそ起きてしまうようなNGの場合は間違っても、そのまま続行することもあります。ケースバイケースですが、基本はどのポジションからも、『一度始まったら最後までやってもらっている』と思っていただけるとわかりやすいと思います。その中でうまくいったものだけを繋いでいくということなんですよ。こう考えると果てしないでしょう?」
――果てしないですね、本当にパズルのようです。
ヴィルジニー「ほかの監督との違いは…確かに長回し自体はほかの監督もやるのですが、竜介さんの場合は独特でした。一度あるシーンを最初から最後まで長回しで撮ったら、そのシーンを部分ごとに切り出して撮影し、そのうえでもう一度全体を長回しで撮り直すんです。翌日に一部のシーンをもう一回長回しでやり直すということもあって、それはほかの監督にはない撮り方でした」
多緒「聞きながら思い出したのは、山場を越えなければならない大きな場面が各々あって。例えば、私はホワイトボードで資本主義について語るシーン、ヴィルジニーは真理を迎えたことを職場の皆さんに話すシーン。基本的にずっと喋っているんです。先ほどの“カメラを動かす” ポジションの話も、こうしたところでたくさん起こっていました。こういう手法というのは多分現場だけではなくて、準備段階のことも含むと思うんです。あとは、濱口監督の俳優たちに対するリスペクトも含め、みんながその集中力を絶やさずに灯し続けていった結果、この『急に具合が悪くなる』という作品が完成したんだなと思って、すごく感動しました」
――これまでも濱口監督の作品では地方を舞台としてきたように、“地方と都市”は重要なテーマのひとつだと思うのですが、今作でもフランスを舞台にしながら地方と都市を対比させた“都市論”を展開されていました。それこそが、この映画でやりたいことだったのではないか?と感じました。
濱口「いや、映画のなかでは格別に都市と地方ということだけを言っているわけではないです。都市の内部でも格差が大いにあるわけですし。ただ東北で2年ぐらいドキュメンタリーを撮っている時に、東京にいると全国ニュースだと思って見ていたものが、仙台から見るとただの東京のローカルニュースだということがわかってくる。都市だけで過ごしていると決して気づくことができない部分があるし、地方にだけいたら気づけないものもある。そういうことを外側から眺めたり、内側から眺めたりということを繰り返した、その実感が反映されているとは思います。いまは首都圏に住んでいるのでどちらかというと、そういう自己批判的な目線を含みながら、都市でしか生きられない人間として映画を撮っているという感じですね。観客には、それぞれの立場から見ていただけたらうれしいです」
――そういう視点で言うと、フランスで撮っても濱口竜介は濱口竜介であったということに尽きます。俳優やスタッフの多くがフランスの方であるにもかかわらず、どのようなことを実践すればそう見えるのでしょうか?
濱口「撮り方や準備の仕方が変わらないので、そう見えるのではないかなと思います。自分でもモニターを見ていて『なんて自分の映画なんだ!』と、むしろ呪いのように感じたところはあります(笑)。ただ、実際に完成したものが、単にこれまでの自分の映画と同じかというと、やはりそうではなくて。非常に豊かなものが映っていると思っていますし、自分で観ていてこれほど感動を覚える映画というのもあまりない。強いて挙げるならば、東北で撮ったドキュメンタリーに近い。あれは、津波の被災体験のある方々に出てもらっていて、常に彼らの勇気に対する敬意を感じながら撮っていたし、彼らが自分を表現する瞬間には感動をしていました。今回もそれと同じように、自分には計り知れない人たちが映っている感覚があって、そこに常に感動するんです。演出したのが自分であっても、それを超えたものが映っている。だからこそ、(カンヌで)女優賞が共同で与えられたことは、自分の感覚に添うものでした」
取材・文/松崎健夫
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