かりそめの“欲しいもの”から本当に“欲しいもの”への見事なアーク『プラダを着た悪魔』【小説家・榎本憲男の炉前散語】
“欲しいもの”の暫定的な設定
さて、もうひとつアンディが本気になるシーンがあります。そしてここが、“欲しいもの”(want/need)という観点から見た場合の本作の極めてユニークなところで、かつまたこの映画の名シーンとしてよく語られる場面でもあります。あまりに理不尽なミランダの叱責にアンディは比較的話しやすい男性(おそらくゲイ)のアートディレクター、ナイジェル(スタンリー・トゥッチ)に相談するのですが、慰めてくれるどころか「君は泣き言言っているだけだ」と言われる始末。
彼女は本気になる。この編集部で生き抜くこと、ミランダにとって優秀なアシスタントになることを自分の“欲しいもの”として暫定的に設定することになります。“欲しいもの”の暫定的な設定、これが本作の非常にユニークな点です。そして、彼女は変わりたいと思い、その手助けをナイジェルに求める。ナイジェルが彼女に似合いそうな服を選んで着せてやると、まるで別人のように華やかになる。映画という表現形式は内面的な変化を微細に描くことでは小説には勝てませんが、外的な変化を見せることにかけては圧倒的です。第一、ゴージャスな衣装を身にまとうのはアン・ハサウェイなのですから、着こなしたってバッチリです。この彼女の変化は周囲を圧倒します。いままで軽蔑していた先輩エミリー(エミリー・ブラント)を口惜しがらせ、彼女の同僚のセレナ(ジゼル・ブンチェン)に「いいわね」と素直に認めさせるほどに。
これは“それほどやりたいとは思ってなかったことだが、やってみたらとても上手にできた”ということですね。“欲しいもの”に引きつけて言い換えると、“さほど欲しいとは思っていなかったけれども、求めてみたら、あっさり手に入ってしまった”ってことです。そりゃあ、先輩のエミリーは口惜しいでしょうね。
アンディはこのあと、急ピッチでファッションの仕事にのめり込んでいきます。身体もスリムになって、ますますハイブランドが似合ってくる。この映画の前半と後半ではアン・ハサウェイの体型はあきらかにちがって見えます。調べてみたところ、撮影前に約10ポンド(約4.5kg)太り、後半の変身シーンで10ポンド減量してサイズ4が合うように調整したそうです。「ランウェイ」はただのファッション誌じゃない。一流のジャーナリストも寄稿しているのよ、と仲間に宣伝して呆れられもするアンディは完全に「ランウェイ」の人になったかのようです。
最終的に、アンディはなにを求めるのか?
では、彼女は、暫定的な“欲しいもの”(want/need)を本当に“欲しいもの”として受け入れ、「ランウェイ」に身を捧げるのか? いや、そうではありません。クライマックスを経て、最終的に彼女はファッション業界は自分がいるべき場所ではない、と判断し、立ち去る決心をするのです。暫定的な“欲しいもの”を追い求めつつ、最終的には本当に“欲しいもの”へ向かうところで物語は終わる。このような“欲しいもの”のアークが示される作品はあまり多くありません。
では、暫定的な“欲しいもの”を追い求めた時間と労力は無駄だったのか。そんなこともないのです。
このコラムの冒頭で、物語の基本的なフォーマットを示しました。けれど、そのように“欲しいもの”を明確に設定して、それに向かって邁進するなんて、実人生では極めて稀なのではないでしょうか。人はたまたま出会い、たまたま関係を結びながらそれが実りあるものとなるように努め、ときにその関係を持続させたり、壊したりしながら生きていく。アンディと会った時に、エミリーはこんな言葉を投げかけます。「ここでやれればどこでも通用する」と。
さて、『プラダを着た悪魔2』が公開されました。予告編でも、アンディが「ランウェイ」に戻ることは明らかとなっています(戻らなければ物語がはじまらないので当然ですね)。では、なぜ、彼女は戻るのか。映画制作者の視点から言えば、どのような状況をこしらえてアンディをランウェイに戻すのか? そして、最終的に彼女はなにを求めるのか? これについて僕は『2』を観る前に仮説を立てました。次回は、この予想が当たったのか、外れたのかも含めて、語っていきたいと思います。
文/榎本 憲男
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語
