押井守も裏切られた!『殺しのドレス』で炸裂するデ・パルマ節と、ボカシ越しの“ときめき”【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第8回前編】
「以前の出演作と『殺しのドレス』のおっぱい、まるで違うんです」
――で、押井さん、なんでダブルだとわかったんですか?つまり、胸の部分はぼかされてないのに、それもダブルだと見破ったんですよね?
「そうです。ディキンソンが出た映画で『ビッグ・バッド・ママ』(74)というのがあるんだけど、あれで彼女、脱いでいるんですよ」
――ロジャー・コーマン製作のギャング映画ですね。私は観てないけれど公開当時、思いのほかいいと評判でした。
「その時の彼女のおっぱいと『殺しのドレス』のおっぱい、まるで違うんです。『ビッグ・バッド・ママ』のほうが前に作られたにもかかわらず、それよりも若い胸だったからね。これはなにを意味しているかと言えば、首から下はダブルということ。というより、湯気モウモウのなかの全身も多分、ダブル」
――いや、押井さん、配信で今回チェックしたんですが、最初に映る湯気のなかの裸は本人だと思います。で、胸や下半身のアップはダブルで間違いないかと。
「そんなによく見えたの?」
――ええ、かなりはっきり。下半身にぼかしも入ってなかったです。
「それはヘアヌード版というバージョンだろうね。いろんなバージョンがあるんだけど、公開当時はしっかりボカシが入っていたんです!
公開で観た時、いきなりシャワーシーンから始まるなんて思ってもいなかったから『やったー』って喜んだわけ。でも、カメラがパンするとボケボケになっちゃうんです。デ・パルマ特有の視線的な舐めるようなパン。最後もシャワーシーンで、ナンシー・アレンがヌードになっている。このシーン、彼女を捉えたカメラが床を這って違う方向に行くのがおもしろい。そういうところはデ・パルマらしいこだわりがある」
――そのシーンを含めて『サイコ』だらけでしたね。久しぶりに観直して、ここまで徹底していたんだと改めて驚きました。
「それですよ。つまり、『殺しのドレス』で憶えているのはシャワーシーンと、犯人が二重人格のマイケル・ケインだったということだけ。あとはほとんど忘れちゃってる。本作に限らず、デ・パルマの映画はほぼそんな感じ。全体像を憶えてない」
――そういう傾向はあるかもしれませんね。
「なので、わざわざ輸入盤のVHSまで買ったのに、憶えているのはシャワーシーンだけになっちゃう。いま配信でもボカシナシが見られるのはいいことですよ。だってほら、そういうボカシが入ることで映画の核心が見えなくなることってあるでしょ?」
――あります!たくさんあると思います。
「『ぼくのエリ 200歳の少女』(08)とか、まさにそうじゃない」
――押井さん、その映画、確かにボカシのせいで“裏切られた”ことになりましたよ。じゃあ後編で、その手の“裏切り”についても語っていただきます。もちろん、もっとデ・パルマ映画についてもお願いしますね!
取材・文/渡辺麻紀

