押井守も裏切られた!『殺しのドレス』で炸裂するデ・パルマ節と、ボカシ越しの“ときめき”【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第8回前編】
独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。第8回は、押井監督が“ケレンの塊”と評すブライアン・デ・パルマ監督の『殺しのドレス』(80)をテーマに、大興奮したシーンでのまさかの“裏切り”を熱く語ってもらった。
「あの冒頭のシャワーシーンに、衝撃を受けてしまった」
――前回は黒沢清監督の『散歩する侵略者』(17)について語っていただきました。彼の映画、とりわけホラーにはケレン等が一切なく、ほかの監督たちとはまるで違う恐怖が演出されている…みたいな感じでしたが、これから取り上げるのはそういう黒沢さんとは対極のケレンだらけの監督の作品だということですね?
「そうです。もうわかったでしょ?」
――私の大好きな米国の監督といえば…。
「そう、ブライアン・デ・パルマです。彼の作品のなかで私が『裏切られた!』と思ったのが今回取り上げる『殺しのドレス』。黒沢さんの真逆。ケレンの塊。それしかないから上映時間(105分)も短くて大正解ですよ。で、『殺しのドレス』の裏切りってなんだと思う?」
――うーん…ヒロインと思われていたアンジー・ディキンソンが早々と殺されてしまうところ?おそらくデ・パルマは『サイコ』(60)のジャネット・リーを意識したんでしょうけど。押井さん、ディキンソンの大ファンだから彼女がらみの“裏切り”なのかなって。
「“彼女がらみ”の部分は正解です。というのもおっしゃるとおり、私はディキンソンが大好きなんですが、本格的に彼女に開眼したのはこの『殺しのドレス』。もちろん『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(67)のころから認識はしていたけど、ときめくまでは行ってなかった。それが『大好き』に変わったのが『殺しのドレス』なんだよ。なぜかと言えば、あの冒頭のシャワーシーン。私は衝撃を受けてしまったわけです。でも、当時の日本の映倫によって当然、ボカシが入っていてよく見えない。湯気がモウモウ状態で胸さえよくわからない。だから、私は並行輸入でアメリカ版のVHSを買ったんですよ」
――は、はあ。
「それを観てわかったのが、あのシャワーシーンの首から下はダブル(=代役)だったということ。私がいかにショックを受けたか、わかるでしょ?」
――いやいや押井さん、もしかして今回の“裏切り”って…。
「そこです。『ダブルだった』という裏切りです」
――それはちょっとレベルが低すぎませんか?黒沢監督の時は理詰めだったのに。
「前回で映画の本質に迫るような話をしたんだから、今回はこういうのでもいいじゃないの。裏切りには違いないし、そういう裏切り、映画ではよくあることでもあるから取り上げたんです。黒沢さんと対比するとおもしろいでしょ?」
――はあ、まあそうですが。
「ケレンというのは映画の一部というか、娯楽映画には必須の要素なんです。ケレンの本質というのは小さな裏切り、小さな意外性の連続。その連続で見せるのが娯楽映画と言ってもいい。『当たり前のことを当たり前に撮ったら、それはエンタメじゃない。とりわけ相手が子どもの時は』――ということを、かつて『ヤッターマン』をやる時、私は笹川(ひろし/タツノコプロで『タイムボカン』シリーズ等を手掛けた監督)さんに言われたから。『(子どもに)3分で横を向かれたらお前の負けだ』とも言われたし、『今日で(ジャン=リュック・)ゴダールのことは忘れろ』と言われたわけじゃないんだけど、私の耳にはそう聴こえたんですよ。で、やってみたら意外とフィットした。意外性を連発するのが思いのほか得意だった。私の場合はそれがギャグなんだけど。『ヤッターマン』をやったことで、そういう自分の意外性に気づいたわけだ。
この『ヤッターマン』にはもう一つ、逸話があるんだよ。ほら私、空手の道場にもう20年は通っているじゃない?ある時、そこの師範代に『私がいま空手をやっているのは、あなたのせいです』って言われてね。当時、中学生だった師範代は剣道少年だった。でも、部活をやっていると『ヤッターマン』の再放送に間に合わないから剣道部をやめてしまい結果、空手をやることになったというんだよ。だから、『あなたが『ヤッターマン』をやっていたんですね!』と突然、尊敬のまなざしになり以来、扱いがガラっと変わったんです…。『殺しのドレス』とはまるで関係ないけど」

