『たしかにあった幻』で河瀬直美監督と再会した尾野真千子&永瀬正敏が振り返る、特別な撮影現場「河瀬組を経験するとなにかが変わる」
「命をつないでいくことが大きなテーマだと思いました」(永瀬)
――尾野さんは撮影前に、めぐみのモデルになった女性や、実際にドナーを待っている子どもたちにも会ってお話されたそうですね。その過程で湧いてきたのはどんな感情でしたか?
尾野「ものすごく複雑でした。お弁当屋さんの女性に会った時は、思っていた以上に笑顔で元気があって、息子を亡くすという耐え難い経験をしているのに、逆に私らにめちゃめちゃ光を与えてくれるというか。驚きもしましたし、どうしてそこまでのことができるのだろうと自分の理解が追いつけないところもありました。入院中の子どもたちに会いに行った時も、この子たちは生きるために臓器を待っているけど、その一方で手放さなければならない人たちもいる。病院から出られない彼らを前にして、どんな声をかけてそこから立ち去ればいいのかもわからなくて、いろんな気持ちが生まれた日でした。命というものがこの世で一番重いことを感じましたし、わからなさや複雑な気持ちを抱えたまま、いまの私として現場に入ることが正解なんだと思いました。そこでなにか答えを出そうとしたら、それは多分ただのお芝居になってしまうんだと思います」
河瀬「撮影中に100点超えだと思えるシーンが3つ撮れたら傑作になる、とスタッフには常々話していて。めぐみが病院にお弁当を届けるシーンを撮った日は、みんなで『今日は100点が出ましたね』と言い合いました。当然のことながら、後半で雅也が出てくる嵐のシーンでも、『また出ましたね』と」
――雅也は永瀬さんの出身地である宮崎・都城の方言を話していました。
永瀬「僕の生まれ故郷は宮崎県ですけど、都城は昔でいう薩摩藩なので、純粋な宮崎弁じゃないんですよね。言ってしまえば少々“荒い”んです。その言葉でお芝居をするのは初めてでした。宮崎弁の芝居は、『男はつらいよ 寅次郎の青春』(92)でやらせていただいたことがありますけど、今回はバッチリ自分の血肉の言葉という感じでしたね。だから最初はやっぱり両親のことを思いました。地元の言葉で喋ると、より役との距離感が近くなっちゃうんです。うちの弟は生まれてから1回もうちに帰って来れなかったんです。ずっと大学病院の保育器の中にいて、僕も2回ぐらいしか会えなかったんですけど、その時の想いみたいなものが、親子の立場は逆だけどどうしても感じてしまうんですよね。
でもドナー側の役というのは、命を未来につなぐ存在でもある。もしあの時弟の命が助かっていたら、もしかしたらいまここに…もうオッサンになってるでしょうけど、弟がいたのかもしれないよねと思うと、命をつないでいくことが大きなテーマなんだよなと思いました」
河瀬「雅也が息子の羽響について話す『こいつ(妻)の作ったシウマイが大好きで』といった言葉や、それに対する妻の早織(早織)の反応は、全部アドリブになっています。2人がリアルに生きてきた過去の時間をあの瞬間に持ち出してセッションしてくれているわけですね。その中で、雅也の心が羽響の命をつなぐという方向にグッと切り替わった瞬間があったんです。子どもと離れがたい想いは2人とも同じなんだけど、早織はまだもう少し時間がかかる。そのせめぎ合いを、羽響を見送る夫婦の手が物語っているんです」
