敵のいない、災害としての戦争。『黒い雨』と『この世界の片隅に』にみる日本独自の戦争観【小説家・榎本憲男の炉前散語】

敵のいない、災害としての戦争。『黒い雨』と『この世界の片隅に』にみる日本独自の戦争観【小説家・榎本憲男の炉前散語】

研究対象とされた日本の戦意昂揚映画

戦時には、各国で戦意昂揚映画というものが作られました。自分たちはこの戦争に勝たねばならないという政府のプロパガンダに映画会社が応えて製作するのが戦意昂揚映画です。ここではそう定義することにしましょう。

最初期のプロパガンダ映画の一つである、ソビエト連邦のサイレント映画『戦艦ポチョムキン』
最初期のプロパガンダ映画の一つである、ソビエト連邦のサイレント映画『戦艦ポチョムキン』[c]Everett Collection/AFLO

アメリカ政府は、第二次世界大戦時、日本という国ひいては日本人を知るために、日本映画を取り寄せて、映画関係者や学者らを招聘してそれらを見せました。そして、彼らは首を傾げました。これは戦意昂揚映画になっているのか、と。自分たちが想像する戦意昂揚映画とはまったくちがうものがそこに描かれていたからです。

彼らの頭の中にあった戦意昂揚映画とは、序盤で、敵国が非道の限りを尽くし、自国は手痛いダメージを負う、しかしながらもそれに耐えていると、終盤で、ついにヒーローが立ち上がり敵を殲滅する、というものであったはずです。しかし、そもそも彼らが見た、日本の戦争映画には憎い敵そのものがいないのです。
「これでは反戦映画ではないか」というコメントを寄せたのは、『素晴らしき哉、人生!』(46)などを撮ったフランク・キャプラでした。このような感想をキャプラが漏らした原因は、そこにヒロイズムや愛国心の昂揚をほとんど見ることができなかったからでした。また、このとき、天皇への忠誠心という視点で日本映画を解説したのが、戦後「菊と刀」を書いた文化人類学者ルース・ベネディクトだったそうです(佐藤忠男氏の『日本映画史 2 1941-1959』を参照)。ただ、僕はルース・ベネディクトの天皇への忠誠心という切り口での解説はあまり納得いくものではありません。

アメリカの映画監督、フランク・キャプラが手掛けたプロパガンダ映画シリーズ「我々はなぜ戦うのか」
アメリカの映画監督、フランク・キャプラが手掛けたプロパガンダ映画シリーズ「我々はなぜ戦うのか」[c]Everett Collection/AFLO

彼らは、日本というものを理解するにはこの映画を見ればよいという視点で、佐藤武監督の『チョコレートと兵隊』(38)に注目しました。実は、僕はこの作品を見ていません。DVDも配信もないので、以下に紹介するストーリーは、先ほどの佐藤氏の著作でのテキストとネットからの情報を参考にまとめたものであります。
 
ある善良な職人のところに召集令状が来る。彼は1兵士として中国の前線に送られる。彼は前線に行っても、兵士として活躍することはない。ただ、戦友たちに送られてくる慰問袋の中に入っているチョコレートから包み紙だけをもらうことに熱心なのである。その包み紙にはポイントがついていて、何百点かまとまるとチョコレート会社からオマケがもらえることになっていて、彼がそれを熱心に集めているのは、日本にいる息子にそれを送ってやるためなのです。

さて、息子がそのポイントでチョコレート会社からたくさんおまけをもらった日、父親の戦死の知らせが届きます。息子は、こんなチョコレートなんかいらない、と泣く。チョコレート会社の宣伝部がこれを知って、この子に奨学金も出すことにしようと言う。息子は、大きくなったら、きっと父の仇を打つと誓うところで、映画は終わる。


黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』で農民の又七を演じた藤原釜足(画像左)
黒澤明監督の『隠し砦の三悪人』で農民の又七を演じた藤原釜足(画像左)[c]Everett Collection/AFLO

当時、フランク・キャプラがこの映画を見たのは、政府の依頼で自分も戦争目的を教育する映画の製作に携わっていたからだそうです。そして、この主人公を演じている俳優に驚きました。前線に招集された父親を演じていたのは、「生涯、小心な庶民というおきまりの役所だけを演じ続けた」(佐藤忠男)藤原釜足でした。「われわれにはこんな俳優はいない」とも言ったそうです。

戦争という厄災の苦労をともにすることが、日本の戦争映画の特徴です。そうした傾向を持ちなおかつ評論家などに高く評価されたものとしては、田坂具隆監督の『土と兵隊』(39)や『五人の斥候兵』(38)があります。そこには敵はおらず、戦場の苦労と、身内・仲間を思いやる優しい心だけが淡々と描かれる。日本人にとって戦争は、仲間と耐え忍ぶべき災害として描かれているのです。

■榎本憲男 プロフィール
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。


小説家・榎本憲男の炉前散語

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