葬儀の風習や多彩な宗教…『三日葬/サミルチャン』に通じる韓国“ならでは”の要素を生かしたKホラーのスタイル
突飛で非現実的なものを信じない国民性と多種多様な信仰にすがる矛盾の表象
同じくキリスト教信仰を発想のベースとしながら、宗教的、倫理的な固定観念を破壊するような問題作を放ち続けているのが、韓国映画界きっての鬼才ナ・ホンジン監督だ。彼が初めて本格的ホラーに挑んだ『哭声/コクソン』(16)では、キリスト教、土着信仰に加え、自然界に宿る精霊、そして“最も不可解で近寄りがたい存在”としての日本人まで登場し、一体なにを信じていいのかわからない「究極の五里霧中」状態を作りだす。これは、突飛で非現実的なものをあまり信じない韓国の国民性と、それでも多種多様な信仰にすがる矛盾の表象なのかもしれない。
『哭声/コクソン』には、ファン・ジョンミン演じる巫堂が執り行う悪魔祓いの儀式が大きな見せ場として登場するが、そこには「本当にこれで悪魔が祓えるのか?」、「違う目的で行われているのではないか?」といった“不信”の影が張りついている。『三日葬/サミルチャン』でも、冒頭から「しくじる」パン神父には、やはり観客の“不信”を抱かせる仕掛けがちりばめられており、それこそが韓国オカルトホラーの真髄なのかもしれない。そういえば『不信地獄』(09)という日本未公開の秀作ホラーもあるくらいだ。一方、『哭声/コクソン』は悪霊に憑依された娘を救おうとする父親の献身を描いたドラマとしても『三日葬/サミルチャン』と共通している。それはまさに人が最も“不信”に浸食されるのを恐れる領域だろう。
恐怖を視覚化することへの追及とこだわり
もう一つ、韓国的“お祓い”を異色のスタイルで描いた作品を挙げておこう。ユン・ジュンヒョン監督の『トンソン荘事件の記録』(23)は、曰くつきの旅館にまつわる呪いと怨念の連鎖劇を、ファウンド・フッテージものとして描いている。心霊ビデオ風の語り口は、予想外の実録殺人ミステリー的展開にねじれた挙げ句、巫堂による大々的な儀式シーンに突入する。それまで保たれていたドキュメンタリータッチがいきなり崩壊してしまう点でも仰天必至だが、『破墓/パミョ』後半の巫堂チームによる祓魔シーン同様、様式的、演劇的な儀式の描写に思わず見入ってしまう。Jホラー、モキュメンタリーなど様々なスタイルを吸収しながらもドメスティックな恐怖を追求した意欲作だ。
『三日葬/サミルチャン』でも、ジャンルの定番シチュエーション、あるいは韓国社会のパブリックイメージを踏まえつつ、それらを意外なかたちで組み合わせたような強烈なビジュアルが多々登場する。厳粛な場であるはずの葬儀場がド派手な怪異現象の舞台となり、ソミの遺体は出棺直前に参列者の眼前で空中に浮かび上がる。さらに、一度完遂したはずの悪魔祓いが再び壮絶に執り行われるのは、なんと大量の蛾の群れが飛び交うボイラー室だ。VFXを駆使して印象的に描かれる蛾は「変身」の象徴であり、肉体を離れた魂の化身でもあるのだろう。随所にアイデアを盛り込んだヒョン・ムンソプ監督の意欲的演出が光る。
古今東西のホラー映画から影響を受けつつ、自国の文化を織り込んだストーリーの融合を果敢に試みた『三日葬/サミルチャン』。そのうえで、父娘関係という普遍的なテーマを最後まで貫き、パク・シニャン主演作に相応しいヒューマニズムも獲得した佳作と言えよう。
文/岡本敦史