犬童一心監督が共感する『星つなぎのエリオ』の“孤独”と“つながり”「僕も空を見上げるのが大好きだった」
「コミュニバースは、『スター・ウォーズ』のカンティーナのシーンを拡大した感じ」
――そういうエリオに実際に宇宙から連絡が来て、いろんな宇宙人が集まっている、いわば宇宙サミットの“コミュニバース”に、地球代表というかたちで招かれます。
「僕は最初の『スター・ウォーズ』のカンティーナのシーンを思い出しましたよ。ルークとオビ=ワンが、乗せてくれる宇宙船を探して訪れるタトゥイーンの宇宙酒場。そこにはあらゆる容姿のエイリアンがいるんだけど、誰もそういうことは気にしない。本当に当たり前のようにみんながおしゃべりしたりお酒を飲んだりしている。性別も人種も姿かたちもなにも関係ない場所。それが当たり前なんだということを僕はこのカンティーナのシーンで実感したんです。理想の社会を表していると思いましたからね。僕はこのシーンに大きな影響を受けて『メゾン・ド・ヒミコ』の食事シーンでは微妙にカンティーナを意識した。いろんな考え方、いろんな外見の人がいても、食事のテーブルにはみんな一緒につけるはずだというつもりでそのシーンを撮ったんです。
コミュニバースは、そのカンティーナのシーンを拡大した感じ。エリオが初めてコミュニバースに着いた時、みんなが彼を出迎えるけど、そのルックスは見事にバラバラ。でも、エリオはそれを見て驚きもしない。近所のおばさんに会ったくらいのリアクションだけ。こういう表現が出来たのは『スター・ウォーズ』のおかげだと僕は思ってます。『スター・ウォーズ』登場以前は、宇宙人が出てきたら、もれなく驚き叫んでいましたからね。『エリオ』でも、小さなシーンかもしれないけど、その意味は深い。いまこそ重要な要素だと思います」。
「エリオが果たしたのは、自分ではない誰かのために頑張ったこと」
――エリオは宇宙に出て、グロードンという少年エイリアンに出会います。彼は一族を率いる屈強なリーダー戦士のひとり息子。父親は自分同様、マッチョな戦士になってほしいと願っているのですが、それがグロードンには重荷で…という展開。ここにも普遍的な父子関係が描かれていますよね。
「自分が好きなものは、親には理解されないということです。僕の場合はそれが映画でした。中学生のころは親に内緒で名画座に通っていた。自転車で三軒茶屋の3本立てに行き1本だけ観て帰る。1本だと3時間くらいで帰宅できるので怪しまれない(笑)。小学生のころは夜の9時から始まるテレビの洋画劇場でも就寝時間が10時と決まっていたので『荒野の用心棒』を最後まで観られない。この悔しさはいまでも覚えているくらいです(笑)。
グロードンの父親は、男の子は当然、強くなりたいと思っているから、自分が身に付けているいかめしい鎧を息子も着たいはずだと決めつけている。それはもう、しょうがない(笑)。親というのはそういうものだから。だったらどうするのかといえば、子どものほうでどうにかしなきゃいけない。でも、グロードンは幼いし、そんな壁の乗り越え方を知らない無垢な子。そういう彼の前にエリオが現れ、手を差し伸べてくれるんです。
エリオが果たしたのは、自分ではない誰かのために頑張ったことなんです。僕がここで思い出したのは『理由なき反抗』のジェームズ・ディーンが演じるジムとサル・ミネオが演じるプレイトウの関係性。ジムはプレイトウを助けるために大人にならなきゃいけなかった。映画ではそれに失敗し泣いてしまうんですけどね。エリオもグロードンのためにひと肌脱ぐ。自分が頑張らなきゃいけない。だったらこうしようと立ち上がる。そういう決心が生まれたことが成長であり、成長したからこそ友人を作ることができるんです。本作ではこの2人の関係性がとても重要でおもしろいと思いましたね」。