『ANORA アノーラ』のヒロインは、なぜ御曹司との結婚にこだわり、何と戦っていたのか?【小説家・榎本憲男の炉前散語】
ただ重要なのはちがいのほうです。新派劇が観客の涙を絞り出すことを目指した悲劇であったのに対して、『ANORA アノーラ』は笑いで物語を包み込もうとします。『ANORA アノーラ』はストーリーだけを取り出してみると、悲惨そのものです。けれど、ショーン・ベイカー監督は、物語のある地点から語り口を切り替え、コメディタッチでドタバタの追走劇を描きはじめます。状況は悲惨だし、芝居もシリアスなのですが、笑えてくる、笑わずにはいられないのです。
『ANORA アノーラ』と『ジョゼと虎と魚たち』の、「欲望」における共通点
いったん構造の話はこのくらいにして、次に欲望のほうを見てみましょう。欲望という点から見れば、『ANORA アノーラ』は新派劇とまったく似ていません。新派劇の男女は互いを本気で好きだと思っています。しかし、『ANORA アノーラ』のヒロインは超リッチ御曹司を好きなのかと言うと、よくわからない。しかも、こいつは、親が金持ちであること以外になんの取り柄もなく、ドラッグをキメ、酒に溺れ、ゲームばかりして、セックスも下手くそなクズ男です。そんなクズとなぜ結婚したのか。好きだったからではありません。この点において、本作は『ジョゼと虎と魚たち』のヒロインを思い起こさせるのです。
妻夫木聡演じる『ジョゼと虎と魚たち』の主人公は、結果論から見ると、かなり無責任な若者だと言えます。ただ、『ANORA アノーラ』の御曹司ほどのクズではありません。捨てたヒロインのことを想い、自分を恥じて号泣するくらいの良心は持ち合わせています。『ジョゼと虎と魚たち』は、男の視点から描かれた作品ですが、両作品は、男の無責任さと愛の軽さにおいて似ており、これを女性の視点から捉え直すと、両作品ともにヒロインの欲望(恋愛に向かおうとする動機)が似ているのです。では、両作品のヒロインをそれぞれ比較してみましょう。
『ANORA アノーラ』のアニーはセックスワーカーで、『ジョゼと虎と魚たち』のジョゼは体に障害を持っています。ふたりは、自分がまともな結婚や恋愛をできるという可能性はほぼゼロだと考えている点が共通しています。なので、舞い上がったおっちょこちょいの男ふたりに口説かれても、最初は相手にしないで受け流すのです。けれどそのうち、ふたりのヒロインにこんな感情が芽生えます。以下、劇中にはない台詞を勝手に作ってみました。
「ほとんど不可能だとは思うけど、この男と恋愛してみようか。そして、できるのなら結婚まで行ってみよう。そこから人生が開けるかもしれない」
このような想いで、彼女たちは未来に向かって自分を投げ込むわけです。しかし、『ジョゼと虎と魚たち』のジョゼは、相手の両親と会う直前で、彼女の方からゲーム終了を告げ、男を解放してやります。これに対してアニーは、一味に捕まり、「そんな結婚など無効に決まってるだろう」と言われても抵抗を続けるのです。
ここで『ANORA アノーラ』を見ている観客に、相反するふたつの感情が芽生えます。まず、アニーを応援したい気持ちです。しかし、彼女が妻でありたいという男は徹底的にクズなので、この結婚を祝福する気にはなれない。僕は、『ANORA アノーラ』を見たあとで、『あの歌を憶えている』(23)をハシゴしました。こちらは「このふたり、なんとか上手くいくといいな」という想いで見ていたのですが、それとは正反対なのです。
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。

小説家・榎本憲男の炉前散語