構造で注目すべきなのはむしろ差異、『スター・ウォーズ』や『カリオストロの城』にみる“ジャンル映画”【小説家・榎本憲男の炉前散語】

構造で注目すべきなのはむしろ差異、『スター・ウォーズ』や『カリオストロの城』にみる“ジャンル映画”【小説家・榎本憲男の炉前散語】

小説家で、映画監督の榎本憲男。銀座テアトル西友(のちに銀座テアトルシネマ)や、テアトル新宿の支配人など、映画館勤務からキャリアをスタートさせた榎本が、ストーリーを軸に、旧作から新作まで映画について様々な角度から読者に問いかけていく「小説家・榎本憲男の炉前散語」。第4回は、“古いストーリー”である神話や識者による言説などに触れながら、ジャンル映画をジャンル映画たらしめる「構造」について深堀りしていきます。

構造によって分類される「ジャンル」

ストーリーで重要なポイントは、欲望と構造です。ただ、どちらかというと僕は欲望の方を重視します。例えば、ミステリーの分類法として、フーダニット、ハウダニット、ホワイダニットという三区分があります。謎のタイプを「誰がやったのか」「どんな手法でやったのか」「なぜやったのか」の三つにわけるというものです。そして、最も重要なのは、三つ目のホワイダニット、「なぜ」だとされています。つまり動機です。犯罪が、どのような動機に基づいて行われたのかということが非常に重要視されているということになります。そして、これは煎じ詰めれば、欲望だということです。

さて、構造の話に移りましょう。ジャンル映画という言い方があります。映画ができたばかりの頃にはジャンルなんてものはありませんでした。そのうち、映画がビジネスとして大きくなるにつれて、「こういうタイプの映画は商売になるぞ」ということを映画人が習得しはじめる。そして映画を“型”に分類するわけです。この“型”がジャンルです。つまり、大衆に受けるために試行錯誤しつつ、ジャンルというものをつくり上げたわけです。ハリウッド映画とはジャンル映画である、と映画評論家の中条省平氏は言っています。

「映画の父」と呼ばれるリュミエール兄弟
「映画の父」と呼ばれるリュミエール兄弟[c]Everett Collection/AFLO

もっとも初期のジャンル分けは、西部劇(the Western film)、恋愛映画(the Romance film)、喜劇映画(the Comedy film)、ミュージカル(the Musical film)、SF映画(the Science Fiction film)、冒険活劇(the Action Adventure film)、ホラー映画(the Horror film)の7つだったそうです。これは映画評論家の山田宏一さんから教えてもらいました。いま、IMDb(インターネット・ムービー・データベース)では、23に分類しているようです。

因みにこのような型、ジャンルに属さない映画はあるのでしょうか。それは「ドラマフィルム」と呼ばれます。イギリスのプロデューサーと話していたときにこの言葉が出て、「それはなんだ」と尋ねたところ、「どんなジャンルにも当てはまらないノンジャンルの映画だよ」と教えてくれました。いま思うと、これはかなりシャープな返答だと思います。そして、この「ドラマフィルム」を構造的に捉えれば、「メインプロットもサブプロットも共に人間関係のプロットでできている、ストーリーを持つ映画」という理解が可能だと思います。要するに「人間ドラマ」です。これについては機会をあらためて説明したいと思います。


【写真を見る】ホラー映画の古典の一つである、1922年に公開された『吸血鬼ノスフェラトゥ』
【写真を見る】ホラー映画の古典の一つである、1922年に公開された『吸血鬼ノスフェラトゥ』[c]Everett Collection/AFLO

話を戻すと、ジャンルを基本的にジャンルたらしめているのが構造です。それぞれのジャンルにはお約束があります。大事なのは、このジャンル(型≒構造)は商業的な要請に基づいて作られたものだということです。どこかのシナリオの教科書に、シナリオライターに向かって言う、プロデューサーのこんな言葉が紹介されていました。
「同じお話をくれ。ただし、ちょっとちがうものを」(大意。出典忘れました)。
要するにジャンルというものは観客の欲望とリンクしているわけです。

■榎本憲男 プロフィール
1959年生まれ、和歌山県出身。小説家、映画監督、脚本家、元銀座テアトル西友・テアトル新宿支配人。2011年に小説家、映画監督としてデビュー。近著には、「アガラ」(朝日新聞出版)、「サイケデリック・マウンテン」(早川書房)、「エアー3.0」(小学館)などがある。「エアー2.0」では、第18回大藪春彦賞の候補に選ばれた。映画『カメラを止めるな!』(17)では、シナリオ指導として作品に携わっている。


小説家・榎本憲男の炉前散語