A24製作『ベイビーガール』のハリナ・ライン監督が明かす、大胆な物語に込めた秘めたる願望「普通になりたい」
「“蜜を味わうために道を踏み外してしまう人の物語”をおもしろいと感じる」
本作を制作するうえで、ライン監督が「インスピレーションを受けた」と明かすのは、エイドリアン・ライン監督の『ナインハーフ』(86)や、ミヒャエル・ハネケ監督の『ピアニスト』(01)、そして1990年代に一大ブームを巻き起こした、ポール・ヴァーホーヴェン監督の『氷の微笑』(92)を始めとする、エロティック・スリラーの数々。だが、それらの多くは男性監督と男性脚本家によるもので、女性側の視点で描いた作品が少ないと感じていたライン監督は、自身の創作のテーマとしている「真っ当な人間になりたい」という願望と、「たとえリスクを負ってでも、自分の欲望に忠実でありたい」という、一人の女性の内に併存する複雑な心理にフォーカスを当てながら、真俯瞰を多用した斬新なカメラワークとアップテンポな音楽で彩り、先の読めないセクシャルなパワーゲームをスリリングに展開させていったのだ。
「人は危険なものにこそ惹かれてしまう生き物であり、たとえそれが自分にとって“毒”であると頭で理解はしていても、なぜかそちらのほうに流されてしまう傾向がある。ロミーはサミュエルとの秘密の関係や経験を通じて、“自分を愛する方法”を探っていくわけですが、その過程において、彼女がこれまで必死で築き上げてきたはずの、社会的地位や大切な家族さえすべて一瞬で失いかねないような、大きな賭けに出てしまう。つまり、リスクを冒してまで彼女は自らの欲求を満たそうとするんです。映画であれ、舞台であれ、“蜜を味わうために道を踏み外してしまう人の物語”をおもしろいと感じるからこそ、私自身もこういったテーマを選んでいるんでしょうね(笑)」
「私自身の“普通になりたい願望”が、実は色濃く反映されています」
スリルを求めてしまう一方で、「いかに自分が普通の人間になって、周囲に溶け込むことができるか」についても、監督は「日頃から考えずにいられない」のだという。どこか相反する考え方のようにも聞こえるが、その理由について、監督はこう明かす。「私はコミューンで生まれ育ち、“グル”(宗教的・カルト的な指導者のこと)に名前をつけられたんです。いわゆる一般家庭で育った人たちとは生い立ちが大きく異なるので、子どものころから『自分は普通ではない』と感じてきたんです。劇中、ロミーが夫のジェイコブの前で『私はただ普通になりたい』『あなたが好むような女性になりたい』と泣きながら告白する場面があるのですが、あのセリフには、私自身の“普通になりたい願望”が、実は色濃く反映されています。人は誰しも『完璧でありたい』と望みながらも、同時に『自分の気持ちに素直になりたい』とも考えていると思うのですが、その2つの感情を両立させることは実は非常に難しくて、自分が思い描く“理想像”になかなか到達できないがゆえに『私は完璧な人間ではないから愛される価値がない』と自己嫌悪に陥ってしまう。それこそが、本作を通じて私が描きたかった、ロミーの問題点でもあるんです」