Jホラーの先にある新たなスタンダードへ。“ちゃんと怖い”に正攻法で挑む『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』近藤亮太監督【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

Jホラーの先にある新たなスタンダードへ。“ちゃんと怖い”に正攻法で挑む『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』近藤亮太監督【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

「海外も日本もサプライズヒットって大体がホラー映画じゃないですか。逆に言うと、もうそれ以外にサプライズが起きない」(宇野)

――その話がとても示唆的なのは、もちろん『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』はホラー映画なわけですけど、そのジャンルの中でもかなりリアリズムに寄った作品で。

近藤「そうですね。ホラー作品ではありつつ、撮影期間もそれほど長くないという条件のなかで――これは三宅さんの現場ですごく学びになったことでもあるんですけど――基本的に俳優にとってのやりやすさを優先するように撮っていて。それは、なるべくシーンの頭からお尻まで、各テイクごとに、各カットごとに、最初から最後まで一応やってもらうということで。つまり実際に使うのはその一部であったとしても、その前後も一応撮っておくという。デジタルであれば、そういう作り方をしても別にそこまで負担にならないので」

撮影監督や脚本など、映画美学校時代に出会った才能とタッグを組んだ
撮影監督や脚本など、映画美学校時代に出会った才能とタッグを組んだ[c]2024「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」製作委員会

―― “作家の映画”っぽい撮り方とも言えるかもしれないですね。今回、撮影も見事だったんですけど、撮影監督の松田恒太さんという方は新人ですよね?

近藤「松田恒太くんには短編版の時から撮影をお願いしていて。映画美学校で自分の6期ぐらい下、まだ22歳とかなんですけど。今回、商業映画デビューっていう」

――めちゃくちゃ若い! いや、すごい撮れてるなって。

近藤「そうなんですよ。映画美学校の実習の時から飛び抜けて上手くて、たまたま見つけたんですけど。短編の時もすごく良かったので、迷うことなく長編も一緒にやりましょうっていうことでお願いして。いや、本当にちょっと驚くような撮影のうまさで。空間の切り取り方の一つ一つに美意識があるというか。なんかもう全部のシーンが一枚の画で成立しちゃうなっていう撮り方を、どんな空間でも割としてくれるので、かなり信頼してます」

――あと、すごく胆力があるというか。中盤の旅館の息子との会話シーンが特に印象的ですけど、まあ、カメラが動かない(笑)。

近藤「本当に、動くか動かないかぐらいのスピードでレールをゆっくりと」

自宅や実家、民宿先など、室内でじっくりと会話をするシーンも多く登場する『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』
自宅や実家、民宿先など、室内でじっくりと会話をするシーンも多く登場する『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』[c]2024「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」製作委員会

――あ、一応レールは使ってるんですね。でも、本当にどっしり撮るところはどっしり撮られていて。一方で、短編版では脚本は近藤監督の単独クレジットでしたけど、今回、近藤監督は原案で、脚本は金子鈴幸さんが手掛けている。

近藤「金子さんとは映画美学校時代の友達の友達みたいな関係値で知り合って、友達としてただただ遊んでたんですけど、商業作品の脚本をやっていて、彼の書いた演劇も見に行ってて、おもしろいものを書くのは知っていて。それと、自分が唯一知っている脚本家が金子くんだったので(笑)」

――(笑)。

近藤「この作品の脚本は、人間にとってなにがどうなったら怖いんだろうねっていうことを、かなり密にコミュニケーションを取り続けないと書けないんじゃないかと思っていて。そのコミュニケーションを取れるだけの関係性や時間が確保できないと無理だと思ったので、金子くんであればそれができるだろうと。あと、最近だと彼の書いた『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』も良かったですけど、ああいう作品を書いた後に彼がホラー映画の脚本を書くとおもしろいんじゃないかというねらいもありました」

――近藤監督自身がXでもポストしていたように、『ミッシング・チャイルド・ビデオテープ』はジャンプスケアなし、CGなし、特殊メイクなしというコンセプトで作られていて。その理由をストレートにお伺いしたいのですが。

近藤「コンセプトを先に決めたというよりは、恐怖表現をどう撮っていこうかと、ある程度アイデアをいくつか散りばめていった時に、結果としてこれはもうCGを使う余地がないぞっていうのが早い段階でわかって。特殊メイクも、幽霊がそもそも画面上に映らない以上は使う余地がないし、使いたいともあんまり思ってなかった」

――でも、一応、幽霊らしきものは出てきますよね?

近藤「 あれは特殊メイクというより、少しだけ白塗りした程度なので」

――幽霊だとしても、もうあのくらいで表現してしまおうということですよね。

近藤「はい。あと、ノージャンプスケアっていうのは、そもそも自分はずっとそう撮ってきているし、商業映画だからといって、いまさらそれを変えるつもりはないっていうぐらいの感じで。自分のやりたいような恐怖表現をやっていくとこうなるので、それを改めての表明したというぐらいの感じです」

弟の日向が失踪した”山”にふたたび誘われていく
弟の日向が失踪した”山”にふたたび誘われていく[c]2024「ミッシング・チャイルド・ビデオテープ」製作委員会

――短編は何本くらい撮っていたんですか?

近藤「映画美学校時代も入れると、10本ぐらいですね」

――ほぼホラー?

近藤「ほぼホラーです」

――じゃあ、自認としても完全にホラー作家という感じなんですね。最近、海外も日本もその年のサプライズヒットって大体がホラー映画じゃないですか。逆に言うと、もうそれ以外にサプライズが起きないみたいなことになっていて。10代の観客も、アニメはもちろん強いわけですけど、実写だともう泣ける映画かホラー映画にしか興味がないみたいな、そんな感じになりつつある。だから、いまは商業的な理由としてもホラーって選択されやすい時代になってるわけですけど、近藤監督の場合は筋金入りという。


近藤「小学生のころからなにかしら”怖げ”なものが、本を読むにしても漫画を読むにしてもテレビを見るにしても、好きで選んでいて。でも、気づいたらみんなそんな感じというか、当時も流行ってたのでわりと友達とも共有してました」

――テレビで『ほん怖』(『ほんとにあった怖い話』)とかが始まった時代?

近藤「『ほん怖』よりもうちょっと前ですかね。黒沢(清)監督とかがやっていた『学校の怪談G』とか、 『奇跡体験!アンビリバボー』の怪奇写真スペシャルとか。当時はそういうものもテレビで普通にやっていたので。あと、平山秀幸さんの『学校の怪談』シリーズ。あの手のものがちょうど自分が子どものころに流行ってたんですよ。でも、僕はそれで好きになってその後もずーっとホラー的なものを追いかけていたけど、気がついたら周りの友達はもう違うものに関心がいっていたみたいな(笑)。そのままなんかずっと、『あいつはホラー好きだよな』って言われるような存在であり続けた感じで。ホラーだったら売れるんじゃないかとか、そういうことが信じられるような状況は、少なくとも大人になってからはあんまりなかったですね」

――確かに、日本の状況でいうと一旦落ち着きましたよね。

近藤「そうなんです。2010年代に入って、自分が大人になってからだと、それほどホラーで目立ったヒットってなかった時期なので。逆に海外でジェームズ・ワンが出てきておもしろいとか、そういうのを参考にして、こういう人たちのようなものを撮りたいっていうか。もちろん子どものころには『リング』とか、高橋さん、清水(崇)さんの作品とかの影響もすごく受けてるんですけど、大人になってからのロールモデルとしては、スコット・デリクソンとかマイク・フラナガンのような、むしろ海外の監督のほうを向いていた感じでした」

幼少期からのちの師匠でもある高橋洋や、黒沢清、清水崇らのホラーを嗜んできた
幼少期からのちの師匠でもある高橋洋や、黒沢清、清水崇らのホラーを嗜んできた撮影/湯浅亨

宇野維正の「映画のことは監督に訊け」

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