記憶を掘り起こされ、心をえぐられる…『我々は宇宙人』が精緻に描く、誰しもが身に覚えのある“あの頃”
心をえぐられるのは、子どもの頃の記憶を呼び起こされるから
そして、胸がキュッとなる、いや、心をえぐられるほどの物語が展開していく。小学3年生の翼は自分が“普通”であることに悩んでいて、一方の暁太郎はクラスの人気者で“特別”な存在。対照的な2人が親友になる流れから、現在実写版が公開中の『ルックバック』を思い出すだろう。そんな2人による、放課後の寄り道や会話はとても愛おしく、なんなら美しくさえ見える。しかし、その時間は長くは続かない。
暁太郎はある日を境にクラスで浮いた存在となり、周囲から向けられる視線や噂のために、心を蝕まれていく。一方で翼は、暁太郎が置かれた状況に気づきながら、なにもできないでいるばかりか、積み重なった猜疑心や嫉妬から、とある決定的な行動に出てしまう。
その心理は、誰しも思い当たるものだろう。「仲直りしたかったのに、意地を張ってしまった」「助けたかったのに、周りの空気に負けてそうはできなかった」といった苦い記憶は、やはり大人になってから振り返る「あの時にもう少し違うことを言えていたら」「なんであんなことをしてしまったんだろう」といった、普遍的な後悔ではないか。
『我々は宇宙人』は、そのような掘り起こしたくないとさえ思える記憶を、容赦なく呼び起こす。だからこそ、この映画を観ている観客は、翼と暁太郎という知らない人たちの青春や人生を追っているはずなのに、いつの間にか「自分自身」の過去を追体験するような心境になる。
さらに、本作は時系列を巧みに入れ替えた構成となっており、感情を積み重ねていく脚本も練りに練られている。詳しくはここでは伏せておくが、とある恐ろしくも悲しい出来事が、その後にどのように波及していくかが残酷なまでに示されており、とあるネタバレ厳禁の要素がいかに上手く隠されている(あるいはヒントが出されている)かは、クライマックスから振り返ってわかるだろう。
そんなふうに『我々は宇宙人』では、2人の少年の人生を追っていたはずが、いつの間にか自分自身の記憶を掘り起こされ、心をえぐられるという体験を与えてくれるが、それだけでは終わらない。ラストシーンは特に象徴的だ。最終的にはつらい思い出、いや後悔や罪を含めて、キレイゴトに落とし込むこともなく、“癒してくれる”作品なのだ。
文/ヒナタカ
※山崎天の「崎」は「たつさき」が正式表記
