記憶を掘り起こされ、心をえぐられる…『我々は宇宙人』が精緻に描く、誰しもが身に覚えのある“あの頃”
9月25日から劇場公開中の『我々は宇宙人』は、平成の田舎町を舞台に、小学3年生の少年2人のかけがえのない友情と心の傷を描いたアニメーション映画だ。本作を観ていると、自分が子どもだった頃の出来事、特に一緒に遊んでいた親友のことを思い出す。それは、「あの頃、こんなことしていたなぁ」「あいつ、いまどうしているんだろう」といったポジティブな記憶だけではなく、「あの時に違うことを言えていたら…」「なんであんなことをしてしまったんだろう…」という後悔、あるいは罪をも容赦なく突きつけ、誰もが持ち得るそうした心の傷をえぐってくる。
そのことを踏まえて、1996年生まれで弱冠29歳の門脇康平監督が、企画として立ち上がってからおよそ5年の歳月をかけて完成させた執念も伝わる、本作の魅力をまとめていこう。
至るところに懐かしさが漂う…映画に詰まった平成の“あの頃の空気”
普通であることに悩む翼と、クラスの人気者の暁太郎。親友として強い絆で結ばれていた2人の歯車が、ある取り返しのつかない事件によって狂い始めていく様を、細部に至るまでリアリティを追求し再現された“平成の空気感”と共に描きだす。
平成の時代設定なだけあり、劇中にはコラショ(進研ゼミ小学講座のマスコットキャラ)の目覚まし時計やニンテンドーDSといった2000年代に子どもだった30歳前後の大人を狙い撃ちにするアイテムが多数登場。
しかも、アイテムだけでなくシチュエーションやセリフにもこだわりが。終業式後に大量の傘を両腕にぶら下げながら帰宅する様子や「はいバリアー!」「バリアーなんてないよ」という掛け合い、「傘ひっくり返す俺プロじゃね?」というイキり方なども“小学生男子あるある”だろう。
アニメとしての作画のこだわりも半端なものではない。ランドセルの劣化についてもこう扱ったから、こう壊れていくという時間の積み重ねや使い方を意識していたり、金銀の折り紙の少年主観で見えるリッチ感やレア感も表現しきっている。
子どもの頃に先生や親に「無駄な動きが多い」と言われていたという門脇監督。だからこそ、その“無駄な動き”を完全再現したいと考えていたそうで、その言葉通り、いかにも小学生男子らしいオーバーな動作も含めて、実在する動きや物を徹底的に観察し、作画に落とし込んでいる。
つまり、『我々は宇宙人』は平成ならではのアイテム、小学生男子あるある、作画のディテールに至るまで、あの頃の空気をアニメだからこその表現で突き詰めている。それは、大人になったいまでは忘れてしまった感覚でもあり、どうしたってノスタルジーを喚起させられる。
そうした舞台立てや物語もさることながら、本作にさらなるリアリティをもたらしているのがボイスキャストだ。監督の意向のもと、小学生時代の翼と暁太郎には、彼らに近い年齢の子役を抜擢。前述した言動がいい意味で生々しくて「本当に小学生だな」と思えるようになっている。また、大人になった翼と暁太郎を演じるのは、監督と同世代の坂東龍汰と岡山天音。実際に少年時代を平成と共に過ごした彼らが、翼と暁太郎の後ろめたかったり、浅ましかったりする言動に、人間味を感じさせる演技や声質をもって大きな説得力を与えていた。
