「『極限の地点』にある映画」「映画史の成熟を垣間見た」『オデュッセイア』李相日、ヤマザキマリ、岩田剛典ら各界著名人から絶賛のコメントが到着!
<著名人コメント>
●糸井重里(ほぼ日代表)
「『ちいかわ』と同じような時期に、『オデュッセイア』が見られるというのは、いよいよ新しい『神話の時代』がきているのか」
●岩田剛典
「ノーランに裏切られた!一言で言えば“愛“の映画。映像と音、キャストの演技、ぜひ映画館で体験してほしい」
●宇垣美里(フリーアナウンサー、俳優)
「圧倒的なスケールで描かれる神話世界の美しさと迫力たるや!オデュッセイアと家への旅路を共にしているような臨場感に脱帽。なにより、2800年前の物語は、そのままに誰のことも信じられず奪い奪われる、いまの私たちの物語だった」
●宇野維正(映画ジャーナリスト)
「ノーランが映画史に刻んだ『体験としての映画』の金字塔。スクリーンのなかで生還したオデュッセウスのように、同時代を生きるすべての映画ファンは劇場に行って目撃し、命からがら帰ってくる以外の選択肢はない」
●大島育宙(XXCLUB、映画・ドラマ評論)
「繊細な剛腕で古代の叙事詩を自分のものにしてしまうノーランが怖い。これまでの彼のフィルモグラフィー全体がこの映画の前振りだったと錯覚するくらい『ノーランらしさ全部入りの翻案』に圧倒された。偏執的な映画原理主義者による数百億円かけた名刺であり、自選のベストアルバム」
●川村元気(監督)
「最高峰に登り詰めた天才が、神の手触りを求めてさらに手を伸ばす。ノーランの神業に飲み込まれる、圧倒的映画体験」
●小島秀夫(ゲームクリエイター)
「全編IMAXフィルムカメラ撮影された本作は、スクリーンをただ“観る”のではなく、そこに“いる“ことを体感させる。俳優たちの表情に容赦なく近づき、彼らの苦悩と運命を執拗に追い続けるノーランとホイテマの絵創りは、現代人に向けた新しい解釈と見せ方で、古典叙事詩を”等身大の人間ドラマ”として昇華する。口頭伝承で始まったホメロスの冒険譚は、これまでも多様な方法でいくつも創られてきた。しかし、IMAXで伝承されるノーラン版は、まだ誰もが観たことのない未体験の“オデュッセイア(Odyssey)“だ」
●鈴木おさむ
「古代ギリシャの話かと思ったら、古代ギリシャの話なんだけどさ、なんだよ、これ!洞窟に閉じ込められたあたりから、『えーー?こっちー?』ってなって、『おもしれー、これ!』って叫びたい気持ちをおさえて見てたら、最後、夫婦の愛に泣いちゃってる!少年心と、結婚して年重ねたからこそ感じる心をぐちゃぐちゃに混ぜられて、天晴!もう一回、家族で観に行く!」
●平愛梨(俳優、タレント)
「観始めるとスクリーンに映しだされる一つひとつの場面に心を奪われ、気づけば物語のなかにいるような感覚になっていたんです!!映画を観終わったとき、『私の答えがココにあった!!』と感じました。ただ『感動した』という一言では到底表せないほど、心の奥深くまで揺さぶられる映画でした」
●中井圭(映画解説者)
「クリストファー・ノーランが神すらたじろぐ熱量で映したのは、敬意と掟を失ったいまの世界への荘厳な神託だ。2026年、映画館で1本だけ観られるなら、迷わず『オデュッセイア』を選ぶ」
●野口聡一(宇宙飛行士)
「『生きて、帰る。』正義の名の下に戦った主人公の罪の意識。それを背負っての長い道のりに感嘆した」
●樋口真嗣(映画監督)
「なんということだ。デジタルで拡張せずに等身大の表現だけで、この神話を撮り切ってしまった。抑制を究めたルールに基づくソリッドな表現で、一片の嘘のない凄みを帯びた描写が積み上げられていくと、ある疑念が浮かんでくる。これはもしや、あの時代に存在した要素だけで撮影したのではないか?まさかとは思いたいが、私たちが信じて何十年とかけて精緻に複雑に練り上げてきたメソッドは、恐ろしくシンプルで原始的な方法で塗り替えられようとしているのかもしれない。だとしても、これを追従するのは容易なことではないことだけはわかる。掲げたルールを理解したとしても、だったらどうやって画にしたのか、想像できないのだ。後年、あの時だったのか!と振り返ることになるであろう歴史の変節に立ち会わずして、どうする?」
●平野啓一郎(小説家)
「行って帰ってくる!ただそれだけの単純で壮大な一往復が、手を替え品を替え、目まぐるしく繰り出す数々の興奮!ノーラン得意のプロジェクト型の映画であり、因果関係を巡るその縦横無尽のイマジネーションが、神話に支えられながら、神話を再生している。原作の映像化を、驚嘆し、また時には危ぶみながら見守る時、観客は半ばオデュッセウスであり、また半ばノーランなのである」
●藤村シシン(字幕、吹替監修、古代ギリシャ研究家)
「紙の上で知っていたはずの物語を、私は初めて全身で体験した。三千年近く語り継がれてきた『オデュッセイア』の一行一行が、波になり、風になり、声になる。これは神話を観るだけの映画ではない。その船に乗り込む映画だ」
●ヤマザキマリ(漫画家、文筆家、画家)
「三千年間読み継がれてきた人類史上最大のロングセラー『オデュッセイア』。フィルム撮影によって描かれる壮大かつ芸術的な古代世界と、斬新な解釈が添えられたストーリー展開に、映画史の成熟を垣間見た」
●李相日(映画監督)
「間違いなく、『極限の地点』にある映画。これから先、いつ観れるのかもわからない。なにかを成し遂げる物語はたくさんあります。でも、成し遂げること以上に、いるべき場所に帰るまでの過程にこれほどのドラマがある。戦争や災害は、いとも簡単に帰るべき場所を奪っていきます。『帰る』という、いまの世界と繋がるシンプルな願いが僕たち自身の物語として迫ってくる」
●渡辺銀次(ドンデコルテ)
「オデュッセウスは戦うこと10年、放浪すること10年。渡辺銀次41歳、私はくすぶり続けること18年。ではさぞかし重なる部分も多かろう、そうお思いでしょうか。否、オデュッセウスの受難の数々は私など足元にも及びません。私が長いこといた場所を、お笑い界の冥府と言うことはできるでしょう。しかし自分のせいで冥府にい続けた私と、人のために本物の冥府にまで足を踏み入れた智将の苦悩では比ぶべくもないのです。たしかにこれは、原色ベタ塗りのスーパーヒーローが無双するような単純な童話ではありません。弱さも持ち合わせた男が、もがいてもがいて打ち克つ人間の物語です。しかし我々とは規模感が全く異なります。そのスケールは、神の怒り、避けられぬ運命、王の責任、妻子への愛、世界史に燦然と輝く叙事詩の名に恥じぬ壮大なものばかりでした。『自分だったら』などという投影をおこがましいと思わせる規格外の物語。『あいつに負けた』『俺なんて』うじうじうじうじ。そんな我々の苦悩がいかに矮小か、この作品に蹴散らしてもらいましょう。圧倒的なボリュームが圧倒的なスピード感で進む圧倒的な3時間。どうか膀胱を完全に空にしてからご鑑賞ください」
文/鈴木レイヤ
