1990年後半はどんな時代だった?『スマッシング・マシーン』の舞台にもなったカオスな日本を探訪
ドウェイン・ジョンソンが実在した伝説の格闘家を演じる『スマッシング・マシーン』(公開中)は、1990年代後半に巻き起こった総合格闘技ブームを再現するために、世界に先駆けて総合格闘技イベント「PRIDE」を立ち上げた日本でロケーションを敢行している。本コラムでは、映画に映しだされるもの、映っていなくても伝わる“90年代後半”という時代の、その空気感に少しフォーカスしてみたい。
人々が不安を抱えていた時代に突如として現れた「PRIDE」
1990年代は91年の5月15日、東京の芝浦にディスコ「ジュリアナ東京」がオープンしたことで幕を開ける。当時はボディコン&ワンレンで決めた女性たちが扇子片手にお立ち台に上り、踊っている光景がたびたびニュースで報道されたものだ。しかしその直後、バブルは脆くも崩壊し、90年代は“失われた10年”として日本経済の黒歴史として記録される。日本人のなかに渦巻く出口が見えない焦りと空虚感に追い討ちをかけたのが、94年6月に発生した「松本サリン事件」だ。それは翌95年3月の「地下鉄サリン事件」によりさらに増幅される。フランスの占星術師ノストラダムスが「1999年7の月、人類は滅亡する」と唱えた“ノストラダムスの大予言”が人々の不安をいっそう煽ったのもちょうどこの頃だった。
PRIDEがスタートしたのは1997年10月11日のこと。高田延彦vsヒクソン・グレイシーの好カードが注目された「PRIDE.1」が東京ドームで開催され、4万7000人の観客が集まった。当初は様々な格闘技のルールが試される場所だったPRIDEが、やがて総合格闘技の世界一決定戦として認知されるようになる。それまでは単なるスポーツ競技だった格闘技が、これを機にエンタメ、もしくはスペクタクルとしての要素を付加し、鬱屈していた人々に再び元気を注入したのである。
ここに、アメリカを代表する格闘技団体UFCの顔であり、総合格闘技の原型と言われるブラジル発祥のマーシャルアーツ、バーリトゥードの達人だった『スマッシング・マシーン』の主人公、マーク・ケアーが参戦したのは、いわば必然的な流れでもあった。
