25年の結婚生活、その先にあるものとは?『これって生きてる?』ブラッドリー・クーパー監督とキャストが語る、個人を“再定義”していく物語
「どこにでもいる男の誠実な肖像でありたかった」(ウィル・アーネット)
一方、ウィル・アーネットにとって、この映画はコメディアンとして知られる自分自身に真正面から向き合うチャンスだった。「ブラッドリーとは知り合って25年以上になりますが、その間に人生の様々なステージを経て、お互いのことを本当によく知るようになりました。浮き沈みも経験し、若いころからいまに至るまで、お互いを見てきたからです。だから、根底に信頼があるんだと思います」とアーネット。彼は、撮影準備からニューヨークの「ザ・コメディ・セラー」に通い、実際のスタンダップ・コメディを披露する訓練を積んだ。ある夜、二本続けてステージに上がり、最初のセットは満員の笑いを取り、意気揚々としていたところへ「隣のステージに空きが出た」と告げられた。5分後、二本目のステージに上がると「一発目のジョーク、無反応。二発目のジョーク、無反応。生まれて初めて完全にすべった。唯一聞こえた笑い声は、会場の奥からだった。見るとブラッドリーが腹を抱えて笑っている。僕が惨敗するのを見て」。それでもステージをやり切って感じたのは、妙な解放感だったという。
コメディとドラマの境界について問うと、アーネットはこう答えた。「コメディはタイミング、ドラマはどちらかというと緩急です。(この役柄を演じるのが)いまの自分の年齢だったからよかったのかもしれません。本物らしく感じさせるための緩急がつかめていたから。シーンの感情的な部分と笑いがつながることで物語にアクセスしやすくなり、真実味のある方法で表現できるようになりました。そこがコメディとドラマの二つが交わるところかもしれません」。
そもそもアーネットがこの役と出会ったのも、クーパーと共通の友人であるイギリスのコメディアン、ジョン・ビショップから実体験を聞いたことがきっかけだった。「人生の岐路に立つ男の話を聞いたとき、いまの自分にとって響くものがありました。物事は、ちょうどいいタイミングで起きるものでしょう。2年前の自分にはこの役はできなかったと思う。あの時期に自分の感情にこれだけアクセスできていたかどうか、わからないので」。20歳でトロントからニューヨークへ渡り、俳優を志して以来ずっと抱いていた夢が、54歳でようやく形になった。アーネットがアレックスというキャラクターに込めたのは、そんな思いだった。「誰もが知っている人物、たとえば隣に住んでいる男、バスで見かける男、私たちの日常のなかにいる男、人生の岐路に立ち、それでも最終的には愛する人ともう一度つながりたいと願っている、そういうどこにでもいる男の誠実な肖像でありたかったんです」。
クーパーは、監督としての指針を「真実の絶え間ない追求」と断言する。全編ほぼ1本の40mmレンズ、手持ちカメラで撮り切るという撮影手法も早い段階から固めていた。今作では自らカメラを操作し、俳優のすぐそばで全編を撮り続けた。「カメラを手にすることで、以前の2作で主演俳優として現場にいたときと同じように、物語のど真ん中にいられるようになりました。俯瞰から見守るのではなく、フィールドのなかに入っていられる感覚がとても好きなんです」。そのカメラが最も躍動するのが、映画のクライマックスに向かうショットだ。「アレックスは屋根裏部屋から立ち上がり、家の中を歩き、そのままステージへ上がる。ようやく、自分の感情を表現する場所を見つけた。僕はカメラで彼を追おうとしている。ウィルは歩き、僕から逃げようとしている」。ダーンに対し、「二人の25年間を宿らせた表情をしてほしい」という演出をしたシーンを、クーパーは別の視点からそう描写している。過去2作でも、愛した人との関係が変化する道のりを描いてきたクーパー監督は、また新たな「愛の物語」を作り出した。
今作には、親友であり監督であるクーパーへの、ダーンとアーネットの格別の信頼が宿っている。映画を見終わったとき、名優としてだけでなく、名匠としても着実に階段を登るブラッドリー・クーパーの誠実さを感じられることだろう。
取材・文/平井伊都子
