『ハムネット』ジェシー・バックリーとクロエ・ジャオ監督に独占取材。悲しみや喪失が持つ力を語る「これは希望に満ちた映画」

『ハムネット』ジェシー・バックリーとクロエ・ジャオ監督に独占取材。悲しみや喪失が持つ力を語る「これは希望に満ちた映画」

「大切だったのは、アグネスは自分の身体の中にしっかり存在している人物だということ」(ジェシー・バックリー)

――この映画における“自然”の役割、そしてお二人自身の“自然”との関係は作品を通じてどう変わりましたか?

バックリー「自然との関係でいうと、私はアイルランド南部のケリー州キラーニーという土地で育ちました。山と湖に囲まれた場所で、私のアイデンティティの多くはあの風景の荒々しさと野性から来ていると思います。そこではなにかが、ただただ育つ。植えなくても、生きている。私はいつも自然の中に自分を根付かせようとしてきました。17年都市で暮らしてきましたが、また自然の中に戻って土に手を入れないといけないと感じています。それは人間としても、私の仕事としても不可欠なんです。アグネスにも、同じように自然との接触が核心にある。彼女の北極星も自然です。彼女は、自然を通じて“生”と“死”を乗り越えていくのです。失ったものを自然の中に見出すための物語を、自分のなかに作り上げている。森に戻って出産するのも、そういう理由です」

ジェシー・バックリーは本作で第98回アカデミー賞主演女優賞を受賞
ジェシー・バックリーは本作で第98回アカデミー賞主演女優賞を受賞[c]A.M.P.A.S.

ジャオ「私たちの北極星は、自然だと思います。ご存知のように、人間は自然の一部です。私たちは木々の葉と全く同じものでできています。ビッグバンから生まれた、ただ振動する粒子に過ぎないのです。ですから、自然は私たちに、私たちがみんな一つのものから生まれたという、ある種の分離感を思い出させてくれます。そして、私たちは自問するのです。一体いつから、私たちはこれほどまでに分離していると思い込むようになったのか、と。そして、私たちは原点に返るのだと思います。すべての預言者たちは、ご存知のように、自然の中で一体性、神聖さを思い出すのです。そして彼らは戻ってきて、文明社会の人々にこう伝えようとするのです。『ねえ、あなたが誰なのかを忘れないで』と。あなたは神であり、仏であり、神聖な存在なのです。聖杯を探し求めるのではなく、あなた自身が聖杯になるのです。つまり、自然こそが教師であり、もし私たちがその繋がりを失えば、すべてが終わってしまうということですね」

――自然に関連して、森での出産シーンの象徴性についてはどう捉えていますか?

ジャオ「撮影現場では、スタジオが確認するためのカバレッジを確保しないといけません。でも私たちがやったのは、『CCTVショット』と呼んでいた、角にある定点カメラのようなものだけでした。それを見ていると、ジェシーが作業をしているなかで、その朝に彼女が選んだ音楽が流れていた。ジェシーはいつも朝に音楽を選ぶのですが、その日の曲がたまたま脈打つようなエネルギーを持っている音楽でした。彼女が呼吸しているのを見ていたとき、私は気づいたんです。あのエネルギーは、宇宙の創造と同じだと。火山の中の、潮の満ち引きの中の、あの脈動するエネルギー。ある時点で、女性の身体がそのエネルギーの緊張を全身で保持することで出産が起きる。『女性には力がない』なんて、どれほど馬鹿げた話か。私たちの社会において、女性の身体に関する知恵が欠けているのだと思います。だから私は、観客にこれを体験させたいと思いました。でもどうすれば?と考えたとき、これをサウンドデザイナーのジョニー・バーンに預けようと思いました。音は映像よりも私たちに近いのだから。マックス・リヒターは常々『音楽は振動であり、振動はビッグバンに最も近いものであり、私たちの粒子に最も近いもの』と言っていました。つまり、これはサウンドデザインの課題でした。どうすればサウンドデザインを使って、観客を没入させ、潜在意識や深層心理のレベルで、アグネスが感じていることを身体的に体感させられるか。彼女を貫くエネルギーを感じさせるのは、大きな課題でした。ある程度はそこに辿り着けたと思います。つまり、没入感を生み出すための試みだったのです。カメラが遠くから撮影していても没入感があるということは、単にその場に居合わせることだけが重要ではないということです」

英女性小説賞、全米批評家協会賞を受賞したマギー・オファーレルの同名小説を映画化
英女性小説賞、全米批評家協会賞を受賞したマギー・オファーレルの同名小説を映画化[c]2025 FOCUS FEATURES LLC.

バックリー「大切だったのは、アグネスは自分の身体の中にしっかり存在している人物だということでした。カメラが回り始めたとき、それはほとんどダンスのようなものだと気づきました。その瞬間を『自分の身体の中に存在する』という以外に表現する言葉はありません。撮影中、カメラが回る前にはずっと、私自身の言語でシーンを想像する方法を続けていました。それは熱病のようなもので、夢のなかで(私自身の言語を)書くことから生まれたものです。毎晩、なにを書いているのかさえわからないまま、ひたすら書き続けていました。それは、自分が足を踏み入れなければならない世界に備えるために、無意識や身体感覚、つまり自分の身体との繋がりにアクセスする必要があったからです。私は常に、自分が足を踏み入れる世界を意識していました。その世界は木々の世界でした。そして、木々は一種の守護者となり、私を導く存在となりました。まるで、この木の根元へとさらに深く入るよう私を招き入れ、支えてくれる人々のようでした。私はその木の一つを母として配置し、また、私にとっては僧侶のように感じられるほかの木々もいました。それは、その一週間前に見た夢から生まれたものでした。私が取り組んだ方法は、もっと自分の無意識の奥深くへと降りていくことでした。自分がなにをしているのかではなく、ただ川の中に身を置き、どこへ流されていくのかを見たいのです。だからこそ、音楽を使います。文章も書きます。そして撮影現場に立つと、ただチャネリングするのです」


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