『花緑青が明ける日に』をクロスレビュー!森直人、SYO、数土直志、大島依提亜が“新世代の青春アニメ”の魅力を深掘り
見たことのない映像と、懐かしい青春映画のハイブリッド/SYO
日本画家・四宮義俊の感性がほとばしった『花緑青が明ける日に』は、絵画的な映像表現に心を奪われる作品だ。『言の葉の庭』(13)のキービジュアルや『君の名は。』(16)の回想シーン、渋谷スクランブル交差点の街頭ビジョンに投影されたインスタレーション作品「トキノ交差」…彼が生み出す世界観は日本画の概念「花鳥風月」にも通じ、“自然”を淡くも瑞々しくエモーショナルに描き出す。
そのためこちらもビジュアル面に目が行きがちだが、彼の初長編映画となる『花緑青が明ける日に』と自分の出会いはそうではなかった。オフィシャルライターを担当した縁で、その全容に触れたのは脚本を通して。つまりこれまでの映像→物語とは逆となる「物語→映像」の順で向き合ったのだ。設計図から完成に至るプロセスを追った身としては、青春映画の形をとった青年たちの「現実との折り合い」を見つめたドラマの印象が強い。
ここで言う「青春映画」とは「後先考えない爆発するエネルギー」「大人たちへの反抗」を内包した作品、という意味だ。行政代執行により立ち退きが決まった花火工場に立てこもる弟・敬太郎を説得してほしいと兄・チッチに頼まれ、故郷に舞い戻った2人の幼なじみ・カオル。しかしいつしか敬太郎に感化され、幻の花火を打ち上げる作戦に加担していく。
この根幹的な「大人/権力/理不尽への反抗」のストーリーラインは、取り壊しが決まった団地に立てこもる少年を描いたフランス映画『GAGARINE/ガガーリン』(20)や『ぼくらの七日間戦争』(88)、『君の名は。』等々、青春映画の王道ともいえるフォーマットを踏襲している。花火はもちろん「夏の終わり(8月31日)」という舞台設定や台風ほか、青春映画の材料もそろえているし、“敵”側である市役所に就職したチッチと4年間引きこもって時間が止まったままの敬太郎による兄弟の決別とわだかまり、モラトリアム期の終わりを感じて「何者かにならなければ」と焦るカオルの心情描写も然り。“再会”という意味でのガールミーツボーイの物語でもあろう。『花緑青が明ける日に』は見たことのない映像と、どこか懐かしい青春映画の文脈がハイブリッドされた一作といえるだろう。
だが、本作の物語展開はある種の懐古にとどまらない。一見すれば文化芸術VS行政の対立構造を描いており、森林伐採による環境や生態系の破壊、土着の文化の衰退というテーマ、そして劇中にタヌキが登場することから『平成狸合戦ぽんぽこ』(94)を想起する人もいるだろうが、居場所を奪われたものたちの末路を悲観的に描いて終わるのではなく、その先に微かな希望や共存の道を見つけようとしている。
かつての水軍は滅ぼされ、森林は切り開かれ、入江はなくなりソーラーパネルで覆われた。だが、旧(ふる)きが淘汰された先に新しき“美”を生み出すのもまた、文化芸術の力なのだ。なお、本作のタイトルは元々『A NEW DAWN(新しい夜明け。英題はママ)』だった。そこに込めた想いを感じつつ、3人の旅路を見届けていただきたい。

