押井守、今村昌平作品から読み解く、姉妹の関係性と生命の連鎖「“血縁”は選べないから生涯確執がついてまわる」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第4回後編】
「傑作だけじゃダメ。凡作駄作珍作を観ないと、映画のおもしろさは永遠にわからない」
――言われてみると、そんな感じしますね。で、『人間蒸発』は?
「だから、この連載の趣旨に沿って言えば、映画にとって裏切りがなぜ重要なのかという、その一つの答えが『人間蒸発』。成り行き上、裏切らなければいけなくなった。監督の意図ではなく結果としてそうなった。そのおかげでただのドキュメンタリーに比べると数倍おもしろくなった。だから歴史的な1本になったということです。私は今村昌平の作品のなかで彼の本質が一番わかりやすい映画だと思っている。劇映画だといまいちわからないんだよ。なぜかと言えば上手い役者さんを演出すると、みんなその気になっちゃうから。キャラクターに感情移入するからですよ。いつも言っているけど、登場人物に感情移入している限り映画の本質から遠のくだけ。私はそれを否定しようとしてきた監督なんだから。結果として多くのものを失いましたが」
――そういうお話を聞くと、押井さんが今村昌平の『人間蒸発』が好きな理由が見えてきますね。
「『人間蒸発』は仕掛けようとしたわけではなくなってしまった。そこがポイント。フェイクドキュメンタリーはいっぱいあって、私も好きだよ。でも、そういう映画は、これはフェイクですというサインをちゃんと送っているの。ところが『人間蒸発』はそういうサインを一切無視して撮っているのに、結果的にフェイクになっちゃった。そういう映画は二度とつくれない。なぜなら、そういう視点で人間を見ている監督がいないからです。演技している役者を追いかけるよりも生の人間を追いかけるほうがよっぽどおもしろい。だって本当におもしろいんだもん。生っぽくてえげつなくて。週刊誌みたいなもの。スキャンダリズムそのものなんだから!松竹とか大手の映画会社でやったらできなかっただろうけど、わずかな製作費だけ出してあとは野放しだった当時のATG(非商業主義のアート映画を中心に製作・配給した映画会社)だったから生まれた映画。そういう映画にはもうお目にかかれないよ、絶対」
――押井さんの大好きな破綻映画ですしね。
「うん、何度もいうけど、破綻してないと映画の隙間が見えてこない。傑作だけじゃダメで凡作駄作珍作を観ないと映画のおもしろさは永遠にわからないんだから。いまは神かゴミかどちらか。これってもっとも貧弱な観方だよ。次に語る作品はまさに賛否両論だった映画。そのよさが理解できない人間の多くが、ゴミとかクズとかひどい言い方をしていたから」
――では、その気になる映画は次回、よろしくお願いします!
取材・文/渡辺麻紀
