押井守、今村昌平作品から読み解く、姉妹の関係性と生命の連鎖「“血縁”は選べないから生涯確執がついてまわる」【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第4回後編】
「女性は最後まで血縁で生き、男は実態をもたないまま滅んでゆく」
――今村昌平が活躍していた当時も、彼のようなタイプの監督はいなかったんですか?
「川島雄三がそうかな。というのも彼の弟子が今村昌平だったから。川島雄三は若尾文子をよく撮っていたけど、必ず彼女をトイレに行かせていた。さすがに用を足している様子は撮らないものの、しゃがんで音が聞こえるところまで撮る。ドラマの流れとはまったく関係なくトイレに行かせるんだからね。それは彼女を生き物として見たいからなんだよ、おそらく。
川島雄三と今村昌平は、人間という幻想を通して見ている限り、本当のドラマにならないと考えていた監督。人間を人間として見た時点でフィルターがかかっているということだよね。でもいまは、人間の皮をかぶせないとドラマが成立しないようになっている。人間の皮を剥ぎ、そこから人間を見つめるのは難しくなった。その対象が女性が多いのは、監督が男性だったからだと思うよ。そのほうが興味が持続するからですよ」
――トイレと言えば、宮崎(駿)さんも『魔女の宅急便』(89)でキキをトイレに行かせてましたね。あ、トイレ行くんだって。
「あれは宮さんがやりたかったわけじゃなく、トシちゃん(鈴木敏夫)にたぶらかされたんだよ(笑)。『いまどきは、そういう描写もないとみんなノリませんよ』みたいなことを言われ、しぶしぶ入れたの!モジモジしているというか、イヤそうな感じが出ていたじゃない」
――でも押井さん、トイレに行かせたくらいで女の子にリアリティがプラスするとは思いませんけど。
「普通はそうです。でも、あのおっさんコンビが考えることだからね。トシちゃんはわかっているつもりでも、実はまるでわかっていません。わかってない者同士でやりとりして冒険したようなつもりになっているだけです。初めて実家を離れ、他人の家で暮らすようになった少女の緊張感と言えばそうも言えるけど、宮さんが描けばそういうシチュエーションであっても溌剌としているはずなんだよ。あんなに恥ずかしそうにしているのは初めて見た。アニメーターというのは、思っていることがそのまま絵に出ちゃう人たちだから、当人も絶対に恥ずかしかったに違いないんです!」
――な、なるほど。すみません、話がそれてしまいました。
「話を今村昌平に戻すと、彼のテーマは血縁だった。タイトルは憶えてないけど、確かもう1本、姉妹と血縁の映画を撮っていたと思う。姉妹というのは独特の人間関係だから興味があるんじゃないの?嫉妬もあればマウントもあり、それを彼女たちは無意識にやっている感じ。もちろん、男の兄弟にもそれはあるものの、男の場合は一定の年齢になれば離脱できる。でも、姉妹の場合は難しい。なぜなら、女性は最後まで血縁で生きるから。生命の連鎖は女性にしかないからそうなる。血縁で生まれて血縁に回帰するのが女性なんです。結婚して子どもを産んでも実家の存在が必ずある。旦那ではなく、自分の母親だったり姉妹だったり叔母さんだったり甥っ子だったり、そっちの関係に近づいていく。女性は最後は実家というか、自分の血縁を選択する。そういうサイクルでは男は必要ないんです。血縁に縛られて生きることも、普通の男はまずない。私も18歳の時に家を出て帰ってないからね。その時はせいせいした、これでやっと自由に生きられるって思ったから」
――そ、そうですか?
「もちろん例外はあるよ。でも、血縁は選べないから生涯確執がついてまわるんです。女性が血縁に回帰するのは、私もある時気が付いた。男は結婚して実家を離れ、子どもができたら実家から離脱する。女性は最後は実家というか、自分の血縁を選択する。母親と娘の関係が一番救いがあるパターン。同じ経験をし同じように生きるから。オヤジの最後は結局、ゴミです。それはしょうがないの。女性の場合は実体があるからそうはならない。彼女たちは小学生の時からそう。ちゃんと生き物としてDNAに刻まれている。小学生の時の男子は単なるバカだから。体力でいうと小学生の低学年の間は女子のほうが強い。でも、中学に入ると一変する。男子にどうしても勝てなくなる。身体が変わるから。でもそれは、男が成長して筋肉がつくからじゃなくて女子の身体が変わるから。女性になるんです。失われるものがいっぱいあるけど、新たな能力が備わる。要するに出産する準備に入るんだよ。
生きるうえではその違いは決定的。どう考えたって、子どもを産み育てて行くほうが生物としてまっとうだから。男はそこで一瞬だけ手を貸すだけ。男はそうやって実態をもたないまま滅んでゆくんです。だから、賢いふりをしてみたり、力を誇示してみたり、快感原則に従ったりするの。酒、女、博打に走るか、インテリのふりをして生きるかどちらか。どっちも似たようなもんです、私に言わせれば」
――女の人は本能的に帰る場所をわかっているということですね。
「娘の時からわかっている。ごっこ遊びをしている時から、すでにその練習に入っているんです。男子は棒っ切れを振り回しているだけのバカだから。知恵がつくのも圧倒的に女子のほうが早い」
