三宅唱監督、シム・ウンギョン、河合優実が語り合う“言葉”の奥深さ。『旅と日々』は「体で感じ、目で聞き、耳で見る映画」
さて脚本家として、また一個人としても自信がなく、悩み多き李は旅に出る前、内省する。瑞々しい感情はいつも言葉に追いつかれ、捕らえられてしまうと。少し飛躍して、言葉と演じることの関係性を伺ってみると、シム・ウンギョンが答えを出すのに少し時間が必要なようで「河合さんはどうですか?」と譲った。
「言葉に変換しようのない気持ちを体を通して表現できる俳優業は何ておもしろい仕事なんだろうと感じています」(河合)
河合「お芝居を始める前に私はダンスをやっていて、俳優業に興味を持ったのは役として舞台上に立つことの楽しさや、みんなで作りあげた世界をお客さんに見てもらう喜びを知ってからなんです。いわばダンスの延長、身体表現という大きな捉え方でお芝居に興味を持ちました。それで、演劇の戯曲と比べると、映像の脚本は設計図的な面が強いし、そういう意味でも肉体のほうが断然雄弁だと思っています。もちろんセリフはセリフですごく大切ですけど、生きていて誰にも言えないことや、言葉に変換しようのない気持ちって数えきれないほどあるはずで、それを体を通して表現できるという意味で、何ておもしろい仕事なんだろうと感じています」
そして、シム・ウンギョンの番に。
シム・ウンギョン「私は、韓国と日本を行き来しながら映画やTVドラマの仕事を続けているのですが、言葉について考えることが多いです。自分が演じるキャラクターのセリフの言い回し、話している言葉は、もともと自分が使っていなかった単語の連なりで語尾も違うんですね。セリフをちゃんとスラスラと言えるようにするためには、練習を重ねないといけない。それは国の違いに限らず、韓国の作品でも同じです。まず、棒読みをするんですね。例えば『ありがとうございます』だったら自分の内側まで馴染ませようと現場で何回も繰り返す。そうして言葉が自分のものになると、感情を乗せることができる。子役時代はただ楽しくて、勢いで現場に入ってそのまま役にぶつかっていけば良かった。ところがどんどん経験を重ねるにつれ、これだけではちょっと物足りなくなってきた。つまり、いつも私はキャラクターの感情しか考えておらず、セリフはあまり大事にしていなかったんです。セリフが自分の口に合わないとやっと気づいて、どうすればいいんだろうと考えて、ただ難しいのは、練習の仕方によってはお芝居の質が落ちてゆく感じがしたんですよ…」
河合優実が思わず、「演技が新鮮ではなくなってしまうんですね」と言葉を被せた。「そうなんです」と呼応し、シム・ウンギョンがうなずいた。
シム・ウンギョン「それでやっと、自分がちょっと間違った方向に進んでいるとわかって。気づいたのは日本で活動を始めてからなんです。日本語は私にとっては外国語だから、本当にもう、口に出して繰り返し練習しなければいけないものです。毎日、まず棒読みを繰り返して口に出していったら、ふと自然と、私の感情も乗るようになり、『あ、これだな』ってつかめてきたんです。以来、役との距離感が前よりも近くなりました。けれどもやはり言葉、セリフだけでは表現できないことがお芝居には多々あり、工夫すべき点が当然まだまだあります。言葉をちゃんと、自分のものにしたいですね。『旅と日々』の独白で李が『私は言葉の檻の中にいる』とつぶやくんですが、俳優も檻に囚われたらダメだなと思います」
すぐに「棒読みを繰り返すのって、フランスの巨匠ジャン・ルノワールの“イタリア式本読み”ですよね。日本では濱口竜介監督の応用メソッドで知られていますが」と、三宅監督が補足した。最初はフラットに、できるだけ感情を抜いてニュートラルにセリフを反復し、自発的に俳優の発声、演技の化学反応を導く方法。「おもしろそうですね。練習してみようと思いました」と河合優実。「私、濱口さんの演技の本を持っています。韓国で翻訳版が出ているんですが、意識したのではなく偶然なんです」とシム・ウンギョン。三宅監督がこう続けた。
三宅「『旅と日々』は役者同士のセリフの掛け合いのおもしろさ、と合わせて言葉と言葉の間に潜む可笑しさ、その両方をたくさん味わっていただきたいですね。ウンギョンさんがプレスのインタビューで『体で感じ、目で聞き、耳で見る映画』だとおっしゃってくれていましたけど」
シム・ウンギョン「いやいやいや! それは監督の言葉ですよ」
三宅「でしたね(笑)。でも僕がそう口にしたのをすっかり忘れてしまっていたら、ウンギョンさんが思い出してくださって、オフィシャルのコメントに採用されたんです。皆さんにとっても『体で感じ、目で聞き、耳で見る映画』となったなら本望であります」
取材・文/轟夕起夫
