三宅唱監督、シム・ウンギョン、河合優実が語り合う“言葉”の奥深さ。『旅と日々』は「体で感じ、目で聞き、耳で見る映画」
劇中、どこかキートンのような物悲しさと孤高の佇まいをまとったシム・ウンギョン。かたや、河合優実は都会から島にやって来て、夏の海辺の町に逗留するミステリアスな渚役で異彩を放つ。実は、李が書いている脚本のキャラであり、もっと俯瞰して見れば、伝説的な漫画家・つげ義春の短編「海辺の叙景」(67)を依頼のもと、李がアダプトしているという(三宅監督が用意した)凝った設定なのだ。
「予想外の驚きが起きることによって、“生きている”という実感を得られるような体験ができる」(三宅)
河合「渚役もそうでしたが私は、演じるための曲のプレイリスト作りは基本的にやらないです。そのキャラクターに流れているリズムが決まっていたほうがやりやすい場合だと、楽しんで作ったりしますけれども」
三宅「映画はいくつか、共有しました?」
河合「撮影現場でリハーサルをする時に、抜粋したシーンを一緒に観ましたよね。ロベルト・ロッセリーニ監督の『イタリア旅行』とか」
三宅「エリック・ロメール監督の『緑の光線』は?」
河合「それは一緒には観てないですけど、他に参考に挙げてくださって印象的だったのは「ヴァカンス映画について」の文章です」
三宅「ギヨーム・ブラック監督の文章ですね。彼はすばらしいヴァカンス映画を何本も撮っていますが、『なぜヴァカンス映画に惹かれるのか』ということについて、美しいテキストを書いていて。それを共有しましたね。これを踏まえて違うことをやりたいと思っていたので」
河合「渚のエピソード、前半の夏篇をひとつの作品と捉えればヴァカンス映画に分類できるんじゃないか、みたいなことを最初に話した記憶があります」
夏篇のロケ場所は東京都、伊豆諸島に位置する神津島。シム・ウンギョンは自分のクランクイン前に、その地を訪れた。対して河合優実は冬篇のロケ地である山形県庄内地方、鶴岡市での撮影に足を運んだ。こちらは、つげ漫画「ほんやら洞のべんさん」(68)をベースにした『旅と日々』の後半部に該当する。李は発作的に東京を離れ、電車に乗り込むが、無計画に降り立った雪に覆われた北国の町の宿はどこも一杯。かろうじて風変わりな隠遁者・べん造(堤真一)が家主の、人里離れたおんぼろ宿に辿り着く。
シム・ウンギョン「神津島へは1日だけ見学しに行きました。夏篇に映し出されるのは、李が書いたストーリーなので実際に見てみないとわからない。それで自分の目で一応確かめておこう、と」
三宅「そうでしたね」
河合「私たちが泊まっていた宿の、畳の部屋で一緒にご飯を食べたり、お話をしたりしましたよね。逆に私は冬篇にお邪魔というか、『雪だあ!』とはしゃいで、遊びに行っただけになってしまった(笑)」
三宅「あんまり落ち着いて見学できるシーンではなかったんだよね。べん造の大事なシーンの日だったから」
河合「現場に緊迫感があって、近づける雰囲気ではなかったです。でも、他のロケ地も見せてもらえました。三宅監督が『いい場所でしょ』ってうれしそうで」
三宅「宿の外、川のシーンだよね。じゃあ、あのべん造さんのおんぼろ宿には行けてないんじゃない?」
河合「私が行った日はあの宿セットの撮影じゃなくて。少しだけウンギョンさんとおしゃべりして、一人で温泉に入って帰りました」
シム・ウンギョン「いろんなお話ができたのは、ロカルノ国際映画祭に一緒に行った時ですよね」
ご存知、本作は第78回ロカルノ国際映画祭インターナショナル・コンペティション部門で最高賞の金豹賞とヤング審査員賞特別賞をダブル受賞。この作品は“旅”だけでなく、旅と表裏一体の“日々”についての映画でもある。では“日々”とは何なのか。三宅監督のフェイバリットな一本、エドワード・ヤン監督の『ヤンヤン 夏の想い出』(00)の次のセリフが教えてくれるだろう。「なぜ私たちは“初めて”を恐れるのか。人生、毎日が初めてです。毎朝が新しい。同じ日は二度と来ない。それなのに私たちは毎朝恐れずに布団から出る」。“旅”と“日々”の繋ぎ目を凝視していくと、そこに三宅流の“映画”が立ち現れてくる。
三宅「平穏そうな“日々”からすでに“旅”は始まっていて、それは“映画”もきっとそうで、予想外の驚きが不意に起きて、幸せになったり、恐怖したりして、それをあとから振り返った時、“生きている”という実感になるのかなと考えたりしました。そもそも、僕らはいろんな偏見、固定観念を無意識に持っていて、そういうものや“日々”が旅先で覆されたりするし、映画においても『こいつは悪人だ』とにらんでいたのが『全然いいヤツだった』とひっくり返される醍醐味ってあったりしますよね。この『旅と日々』では、そういった驚きの瞬間や変化していくことの瞬間瞬間を、ある種の諧謔(かいぎゃく)と共に捉えられたらと思っていました」
