ギレルモ・デル・トロ監督、来日インタビュー。渾身作『フランケンシュタイン』で問いかける“赦し”と愛「不完全さこそが人間を美しくする」
「赦し(forgiveness)」と「受け入れること(acceptance)」
「“赦し”は、ただ許すことではなく、“受け入れる”ことでもある。人は最悪か最高かのどちらかで物事は考えがちですが、世界はその中間にあります。世界はひどく残酷で、同時にすばらしい。その両方を理解できることが人間である証だと思うのです」と監督は言葉の重さを確かめるように続ける。
「人間はやはり、不完全な世界を理解しなくてはいけない。映画のヴィクターはまるで赤ちゃんのような存在で、母親を失うことで癇癪を起こし、死を克服したいと思って、怪物を実際に生み出してしまう。不完全なものに完璧を欲することほど、恐ろしいホラーはないと思います」
そして監督は、旧約聖書の中で最も心に残っているという「ヨブ記」について話し始めた。「『ヨブ記』では悪魔と神が賭けをします。従順なヨブに試練を与えて不平不満を言うかどうか。ヨブは悪魔にあらゆるものを奪われた末に『なぜ私にこんな試練を?』と神に尋ねますが、神は『なぜダメなのか?』というようなことを言い、天地万物を創造した時のことを話すのです。『私が天地を創造していた時にお前はそこにいたのか?私が海を作った時にお前はなにをしていたのか?』と。自分を何だと思っているのかということなんですね。つまり、謙虚さが大事なのです」
「この物語は、痛みと苦痛が親から子へ引き継がれています。ヴィクターが父親から受けた痛み、それは引き継がれて今度は怪物へ継がれてしまう。愛されれば愛せるのに、憎悪されると憎悪することになる。怪物は最後に、反応ではなく選択をします。憎しみから解放してあげることを選ぶのです。それによって初めて怪物は“人間”になれたんです」
すべてを失ったヨブのように、私たちは時に痛みを通してしか、謙虚さを学べない。デル・トロ監督の語る“赦し”は宗教的というより、存在論的だ。それは「他者の痛みを見つめる」ことの宣言であり、不完全なまま世界とともに生きるための祈りに近かった。
『フランケンシュタイン』は怪物の物語であると同時に、人間の物語でもある。「ありのままで愛される」という、この世界で最もシンプルで最も難しい真実を理解して、人間の不完全さに愛を見出すデル・トロ監督の物語をぜひ目に焼きつけてほしい。
そして、最も愛する怪獣は――
何度も聞かれているとは思うが、どうしても直接聞きたかったことがあった私は尋ねた。
「一番好きな円谷怪獣は?」
すると、監督はまるで少年に戻ったように笑いながら答えてくれた。
「ピグモン、レッドキング、ゼットン、バルタン星人、あとは……、円谷じゃないけど、バラゴンも!でもね、ヘドラがやはり一番だね。とにかく美しいんだ!」
モンスターは、彼にとって恐怖の象徴ではなく、この世界で最も“正直な存在”なのだ。
取材・文/小泉雄也

