「役者は楽しいに決まっている」押井守が“裏切られた”、アメコミ作品で文芸映画に挑む『ジョーカー』【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第3回前編】

インタビュー

「役者は楽しいに決まっている」押井守が“裏切られた”、アメコミ作品で文芸映画に挑む『ジョーカー』【押井守連載「裏切り映画の愉しみ方」第3回前編】

独自の世界観と作家性で世界中のファンを魅了し続ける映画監督・押井守が、Aだと思っていたら実はBやMやZだったという“映画の裏切り”を紐解いていく連載「裏切り映画の愉しみ方」。第1回『インセプション』第2回『シビルウォー アメリカ最後の日』に続く第3回は、トッド・フィリップス監督がホアキン・フェニックスを主演に迎えてバットマンの宿敵を描いた『ジョーカー』(19) 。押井監督はどんなところに“裏切り”を感じたのか?

今回は連載初の“悪い意味”で裏切られた映画とのこと
今回は連載初の“悪い意味”で裏切られた映画とのこと撮影/河内彩

「ジャンルもので文芸をやると大体ダメというのが私の持論」

――連載3回目になる押井さんの「裏切り映画の愉しみ方」。今回は世界中で大ヒットした『ジョーカー』です。あのバットマンの宿敵、ジョーカーの誕生を現実世界で描いてみたトッド・フィリップス監督による異色作です。

「これまではいい意味での“裏切り映画”を中心に紹介してきたんだけど、この『ジョーカー』は悪い意味。悪い意味で“裏切った映画”。その理由のひとつには、やっぱり『ダークナイト』(08)のジョーカーと比べてしまったことがある。誰だっけ、あの役者?」

【写真を見る】ヒース・レジャー、ジャック・ニコルソンにジャレッド・レト…歴代ジョーカーを一挙振り返り!
【写真を見る】ヒース・レジャー、ジャック・ニコルソンにジャレッド・レト…歴代ジョーカーを一挙振り返り![c]EVERETT/AFLO

――ヒース・レジャーです。このジョーカーでアカデミー賞助演男優賞を獲得しましたが、その時はドラッグのオーバードースですでに亡くなっていました。

「そうなんだ。でも、オスカーはわかりますよ。脚本のおかげもあって、あの絶対悪っぷりはすばらしかった。ピエロのメイクの剥げっぷりもキャラクターにはまっていたし、これまで見たジョーカーのなかでは最高。ジャック・ニコルソンのジョーカーはコミックキャラクターだったけれど、この役者はリアルに徹していた。ノーランの『ダークナイト』シリーズは、コミックに魂が入っていたんです。ほかの『バットマン』シリーズはまとめてゴミ箱に捨ててもいいくらいだと思ったから」

大道芸人として暮らしていた孤独な男が、“ジョーカー”へと変貌していく様を描く
大道芸人として暮らしていた孤独な男が、“ジョーカー”へと変貌していく様を描く[c]EVERETT/AFLO

――そ、そんな…でも押井さん、ホアキンもこのジョーカーでアカデミー賞主演男優賞を獲得しているんですよ。

「そうなの?ああいう演技というかキャラクター、役者は楽しいに決まっているし、自己陶酔できる。ほかの映画の彼は覚えてなくてもこのジョーカーは強烈に憶えているから。
ホアキン・フェニックスのジョーカーは、言ってみれば“悩めるジョーカー”なんです。つまり、彼の弱さのほうを描いている。弱さゆえにジョーカーになってしまいましたという話になっているでしょ。そういう側面を描くのはエンタテインメントではなく文芸映画だから。ヒーローもののつもりで観たら、なんと文芸映画でしたということ。本作の裏切りはこれに尽きる。ジャンルもので文芸をやると大体ダメというのが私の持論で、その典型が今回の『ジョーカー』になる」


「心が弱いだけの動機じゃ主人公にはなれない」

――「ジャンルもので文芸をやる」というのはどういう意味ですか?

「例えばミステリー小説。ミステリーで時々文芸をやる作家がいるんですよ」

――例えば?

「いや、読んだ瞬間からダメだからそれ以上は読まないのでタイトルすら覚えてない。ミステリーの良さというのは人間性を描いてないところなんです。アガサ・クリスティは人間を描こうなんてしてないでしょ?登場人物はだいたいでくの坊だし、謎を解くポアロ等の名探偵だって気取ったベルギー人として記号化されているだけ。殺しを中心に展開する物語は、実はロジックを楽しんでいるということ。ミステリーはロジックを楽しむ大人のエンタテインメントであり、時代と地域に限定された形式なの。そこに文芸を持ち込むのは筋違い。文芸をやりたいなら最初から文芸をやれという話なの!」

『ジョーカー』でアーサー・フレック(=ジョーカー)を演じたホアキン・フェニックス
『ジョーカー』でアーサー・フレック(=ジョーカー)を演じたホアキン・フェニックス[c]EVERETT/AFLO

――ハードボイルドは文芸ですよね?

「そうです。ミステリーのなかのいち分野として考えている人がいるけど、それは間違い。ハードボイルドはアメリカが生んだ文芸のいちジャンル。最初から文芸だったんです。私はアメリカの小説、もともと好きで、そのなかで最も好きな作家はハードボイルドの(ダシール・)ハメット。ハメットは凄い。明かに最初から文芸として成り立っていたから。ミッキー・スピレインなんかはその変種ですよ。
話がそれちゃったけど、そういう文芸を期待して『ジョーカー』を観たわけじゃないの。ジョーカーというキャラクターの有り様を考えればわかる。トランプのジョーカーなんだから、何者でもなく、何者でもある。私はジョーカーを名乗るのなら、やっぱりジョーカーを体現してほしいんです。『ダークナイト』のジョーカーは文字どおりのジョーカー。何者でもなく、何者でもあったでしょ?」

アメリカンニューシネマの要素を取り入れた作劇が特徴的な本作
アメリカンニューシネマの要素を取り入れた作劇が特徴的な本作[c]EVERETT/AFLO

――言われてみれば…。でも押井さん、そもそもジョーカーって動機がよくわかんないですよね?なんのために暴れているのか。彼に限らずアメコミのヴィランはそういう傾向が強いですが。

「ホアキンのジョーカーの動機は心の弱さだけです。人間の弱いところを全部体現している。売れない役者の恨みつらみがあり、よくわからないお母さんがいて、もしかしたら父親が財閥(ウェイン家)かもしれないと言われるけど、それも違っていてと、血縁の重圧にも社会的な重圧にも勝てない男。何者でもないことのネガティブな部分しかもってない。実際のジョーカーは何者でもないからゲームをひっくり返せるはずなのにそれもない。心が弱いだけの動機じゃあ主人公にはなれません!つまり、もう出発点から間違えているの。人間の弱さや売れない役者の恨みつらみを描いても一向に構わないけど、それをジョーカーでやる必要があるのかということです」

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