岩井澤健治監督&魚豊が明かす、劇場アニメ『ひゃくえむ。』誕生裏話。漫画とアニメそれぞれの”恐れ”の描き方とは

岩井澤健治監督&魚豊が明かす、劇場アニメ『ひゃくえむ。』誕生裏話。漫画とアニメそれぞれの”恐れ”の描き方とは

「ミクロとマクロが重なった時に創作意欲が湧きます」(魚豊)

ライバルとも親友ともいえる関係になっていくトガシと小宮
ライバルとも親友ともいえる関係になっていくトガシと小宮[c]魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

――息を止めて観入ってしまうシーンですが、それほど時間をかけて作っていたとは驚きです。走るシーンも印象的ですが、トガシと小宮、2人の関係性も見どころです。魚豊先生にはトガシ、小宮というキャラクターをどのように作り上げていったのか、岩井澤監督には2人の関係をどのように感じたのかを伺いたいです。

魚豊「『ひゃくえむ。』の頃は、キャラクターを作る時にはそのキャラクターがなにを一番恐れていて、その恐れをどう乗り越えるのかを軸に作っていました。トガシと小宮は常に対極的で最後まで交わらない。それぞれ気持ちが変化するけど、交わることは絶対にない。それでも同じルールの元でゲームを成立させられる。そんな風に、アイデンティティを超えた連帯の可能性みたいなものを、スポーツに象徴させようとしていました。だいぶ前の作品なので、記憶が定かではないですが、そんなふうに作っていたかも、と思い出しました(笑)」

勝ち続けなければいけない恐怖に怯えるトガシ
勝ち続けなければいけない恐怖に怯えるトガシ[c]魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

岩井澤監督「対極するライバルの2人というのは他の作品で普通にある関係性です。『ひゃくえむ。』がほかと違うのは、魚豊先生のおっしゃる通り、そこに恐怖があるということ。なかなか描かれない部分を軸にしているのはやっぱりすごいと思います。恐怖の描き方は映画では少しライトにしています。漫画で読む時はそこがすごく魅力だと感じていましたが、映画化する際にはより多くの人に観てもらうことで原作をそして作家のことを知ってほしいという気持ちがあります。魚豊先生に関してはもうその必要はないほどみなさんが知る存在なのですが、映画としてできることは考えたい。決められた尺のなかに原作の魅力をすべて詰め込むのは難しいことだから、どこを見せてどこを見せないかというのは自分なりにバランスを考えてやったつもりです」

魚豊「とても大事なことですし、ありがたいです。サイコーです!」

――岩井澤監督、魚豊先生の普段の作品作りについてもお聞かせください。どのようなことがきっかけで「作りたい!」という気持ちが動くのか。作品作りにインスピレーションを与えるものはありますか?

岩井澤監督「自分でオリジナルの作品を作るという考えはあまりなくて。アニメーションにしたいなと思う原作に出会った時が作りたいという気持ちが動く時かもしれないです。この先オリジナル作品を作ることがあるかどうかは分からないけれど、10代、20代の頃にたくさんの作品を自分のなかにインプットしたからこそ、観たことのない作品に出会った時には心が動く気がしています。『チ。―地球の運動について―』に出会った時も心は動きましたが、完璧すぎて自分が映像化するイメージは湧かなかったです(笑)」

魚豊「いやー、うれしいです」

岩井澤監督「『チ。―地球の運動について―』がアニメになると聞いた時、そのままやるしかないだろうな、と思いました。それくらい原作が完璧なんです。『ひゃくえむ。』と出会った時の衝撃もすごかったですが、デビュー作なので『チ。―地球の運動について―』ほどには洗練されてないというか。勢いのあるところが魅力の作品だから、映画なりの落とし込み方があると思いました。『チ。―地球の運動について―』の映画化なら『ムリです』となっていたかもしれません。『何部作でやるつもりですか』『2時間に収められないですが?』と答えていたと思います(笑)」

トガシと出会い、速く⾛る⽅法を教わりながら放課後に練習を重ねた小宮
トガシと出会い、速く⾛る⽅法を教わりながら放課後に練習を重ねた小宮[c]魚豊・講談社/『ひゃくえむ。』製作委員会

魚豊「うれしすぎます!作品作りのインスピレーションは、僕の場合、それこそ『ひゃくえむ。』では偶然見かけたものを題材にしていますが、そのやり方でネタ切れしてしまって。それ以降はミクロとマクロが重なった時に創作意欲が湧きます。マクロの話題になっているすごく大きいニュースのようなものと、ミクロの例えば友達が言っている個人的なことが重なった時に、現代的でもありながら、普遍的でもあるみたいな問題がそこにある気がしていて、そういうことを考えていきたいという思いがあります」


取材・文/タナカシノブ

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