「明日は我が身…という感覚」現役教師と保護者が『でっちあげ ~殺人教師と呼ばれた男』を観てみたら?
「悲しみと自戒が混ざった気持ちを覚えた」…共感と警戒、律子の行動に保護者たちはどう感じた?
薮下と律子、両者が語る言葉によって同じ出来事がまったく違うものとして見えてくる。例えば、劇中において両者が初めて対面する家庭訪問のシーンでは、互いに相手を横柄で偏執的な価値観を持った人物という印象を抱いている。それぞれの視点でその際のやり取りが描かれることによって、観ている側もどちらが正しいのか?と混乱させられる。
教師と保護者、それぞれの立場でも本作から受ける印象は異なってくるはずであり、まずは「もし自分の子どもが教師から体罰を受けていたら?」という保護者視点での感想を紹介したい。
「学校という教師と子どもの圧倒的力関係がある環境に対して、不安や不満を感じることはどの親でもあると思います。我が子を想い、期待するばかりに、心配して想いが先走ることにも共感しました」(保護者/30代・女性)
「子を守りたい。その一心でできることをすべてしようという親の気持ちにはとても共感できる。ただ、過度な期待や決めつけをすることで、守りたい子どもをいつの間にか追い込んでしまっている可能性もあり、悲しみと自戒が混ざった気持ちを覚えた」(保護者/30代・男性)
「学校での子どもの状態を知ることができないので、ひとたび疑心暗鬼に陥ると学校や教師に不信感を覚えがち」(保護者/40代・男性)
大切な子どもを預けている身としては、学校での安全性が保たれているかは最優先事項であり、ましてや教師からの体罰は許せることではない。一方で、過干渉になることで子どもの自立心を妨げていないか、精神的な負担になっていないかなど複雑な心境にもなったようだ。
「“よい先生”に教員自体が追い込まれている」…教師が感じる生徒、保護者との向き合い方と学校の対応
律子の告発を受け、学校側は即座に薮下による過度の体罰を認め、保護者たちを集めて謝罪会見を行う。言い分も聞いてもらえないまま校長らに謝罪を強要され、教育委員会からは停職を命じられる薮下。しかし結局、事件は世間の知るところとなり、民事訴訟にまで発展してしまう。こうした姿を見て、「明日は我が身…という感覚があるから怖かった」(教員/40代・女性)という声も。教壇に立ち、普段から保護者にも対応している教師側には「自分が当事者だったら?」という視点で答えてもらった。
「担任と保護者は対等ではないということ、子どもと本気で向き合い、その過程で時に厳しさも必要になるということの2点に共感しました。子どもにとっての“よい先生”というのは人によって感じ方が異なります。子どもと向き合い、一人一人の個性を尊重するよい先生というのは、現代社会においては限界があり、それによって教員自体が追い込まれる要因になっていると考えています」(教員/20代・男性)
「校長と教頭が学校の責任者(監督者)として児童、保護者と教職員の間に立つべきところ、片方に肩入れするのは職務を果たしているとは言えません。そのような人が上の立場にいる環境では、教職員はもちろん児童、保護者も安心安全な学校生活を送れないと感じました」(教員/30代・女性)
社会の変革に伴い、教師の生徒との向き合い方もより複雑なものになっている。わずかなボタンの掛け違いで問題にも発展しかねないなか、常に細心の注意が払われていることも伝わってくる。一方で、すぐに薮下を断罪した校長、教頭の対応には大きな疑問、不信感を覚えずにはいられなかったようだ。