『異端者の家』チョン・ジョンフン撮影監督が表現する“美しさ”を超えたショット「この映画は、ある種の“希望”を見せるためのものだった」
「久しぶりにとても不思議な経験をたくさんしました」
ミスター・リードを演じたヒュー・グラントをはじめ、出演俳優たちはこれまでになかった役柄と表情で演技の幅を広げた。カメラのレンズを通して見た彼らは、ジョンフンにはどんな風に映ったのだろう。
『異端者の家』は、躍動感を出すためにあまりカットを割らず、ワンテイクでの撮影が多かったそうだ。初日の撮影現場でリハーサルをしたあと、監督2人に「どう思う?ここからここまでカットを割らずワンシーンの最後まで撮影してみよう」と提案したそうだ。ただ、どうしてもワンシーンの台詞がかなり多く長くなる。しかし、それをやりこなしたグラントの表情が忘れられないという。
「我々のそんなやり取りを、ただなにも言わずに見てるんです。ヒュー・グラントは私よりも年配なので(笑)、セリフを全部覚えられないのではと思っていました。ところが、彼は長いセリフを忘れた日がほとんどありません。一体、ホテルに戻ってからどれだけ練習したんでしょう…。多くの俳優はカンペを用意することもあるんですが、それもしない。『ああ…これは立派な俳優になるわけだな』と感嘆しました。ワンテイクが終わるたびこの繰り返しで、久しぶりにとても不思議な経験をたくさんしました。正直、この低予算映画に出演してギャラをどのくらいもらっているのか考えてしまいました。なにも言うことないほど現場で情熱的でした。そしてもちろん、ソフィー・サッチャーとクロエ・イーストも、ヒュー・グラントに対峙する難しい役なので心配をしたんですが、3人のアンサンブルがとてもよかったです。2人もまたすばらしい俳優になると信じています」。
「『異端者の家』はある種の心理スリラーであり、また一方でコメディ映画でもありました」
『異端者の家』は、壁に掲げられたタペストリーなど多くの宗教的モチーフや、それとない暗喩がちりばめられている。ただジョンフン監督は、本作を宗教性とはまた別の観点から評価している。
「私と監督たちでは宗教的な会話はまったくなかったと思います。この映画で語られているようにすべての宗教は実は同じ話で、どれも通じるものがあるわけですよね。私は『そうだよね、そういうものだよね』と思いました。なかでもミスター・リードは本質を見抜いているキャラクターです。自分がすべて答えを知っていることを2人に投げかけて誘導していく彼を、宗教的な意識が強い観客はその通りに受け止めていくでしょうね。私の場合、家系は仏教ですが、個人としては無宗教です。でも、シナリオから学ぶことは多かったです。私から観ると、『異端者の家』はある種の心理スリラーであり、また一方でコメディ映画でもありました。3人の会話は少しかみ合わないですし、本質を見抜いている者とそれに導かれていく者たちというシチュエーションは、大変アイロニカルであり、コミカルだとも思いました」。
ただ一方で、ラストシーンにおいては宗教的な意味合いを考えたとも話す。終始不穏さが漂っている本作だが、ジョンフンの言葉を聞くと、“救済”というテーマも込められているのではと感じた。
「私はこの映画全体が、ある種の“希望”を見せるためのものだったんじゃないかと思うんです。ある人物の完全に違う変化を見せることで、エンディング後の物語に関心を持ってもらうためだったんです。バックに日差しが出てくるシーンですが、ここではかなり大きな照明を入れています。それが対比にもなって、これから先はもう少し暖かく美しく、この人物の話が広がってほしいという期待がありました」。
「撮影とは単にきれいな画面を撮ること以上を言う」とは、ブライアン・デ・パルマ監督の『キャリー』(76)をホラー映画の金字塔に打ち立てる一助となった撮影監督マリオ・トッシの言葉だ。チャヌク監督もまた、「撮影監督の実力はすてきな画面だけでは評価されない」と“盟友”を評価している。チョン・ジョンフンの作りだすショットは、その“美しさ”を超えたショットでストーリーを観客に刻みつけるのだろう。
取材・文/荒井 南