山戸結希が『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』で差し出す、決定的で絶対的な劇場体験【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

山戸結希が『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』で差し出す、決定的で絶対的な劇場体験【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】

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「映画館というシェルターは、シェルターは作家を守るためではなくて、観客のためにこそあるべき」(山戸)

――例えば、『溺れるナイフ』も東京でモデルをやっているという設定があったり、『ホットギミック ガールミーツボーイ』も、いわゆる東京の湾岸が舞台になっていた。今回はそういうものとはまったく違いますよね。そういう意味では、(遠藤)和さん固有の物語を長編映画で語るということを選択したのには、そういう人たちの物語こそがいま重要なんじゃないか、みたいな想いもあったのでしょうか。

山戸「そうですね…こればかりは、この原作に出会ってない仮想実験がし得ないため、この原作が、そうしたものを含んでいた、すでに孕んでいるものに出会えたというところが、大きな前提としてありますね。今回はそうした巡り合わせの中で出会えた場所が青森だった。青森という、本当に素敵な場所で撮らせていただいたことに、今も感謝しています」

将一がプロポーズするつもりで和をデートに誘った八甲田ロープウェイなど、青森の地で撮影された
将一がプロポーズするつもりで和をデートに誘った八甲田ロープウェイなど、青森の地で撮影された[c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――前提として、都市部でヒットしている映画と、地方のショッピングモールにあるシネコンで観られている映画って、まったく違ったりするじゃないですか。数字にしたら、本当にヒットしている映画というのは、圧倒的に地方のシネコンで観られている映画なわけで。東京だけで、あるいは都市部だけでヒットしている映画って、インディペンデント作品だったらそれでも成り立つのかもしれないですけど、そもそも山戸監督はその外側に早くから意識的だった。自分は、その外側に向かっていくという運動自体に山戸結希という名前を重ねてきたので、今回のような題材に至ったのも必然なのかな、と思ったんですよね。

山戸「東京のミニシアターを中心に展開されるインディペンデント映画を地方で公開した時にも、その地域で一番文化感度の高い方がいらしてくださるので、公開地域としては地方なんだけれども、おそらく非常に都市的な環境に近づいている。金銭的にも時間的にも余裕があって、文化教養としてもその情報をキャッチできるという方が鑑賞している。一見、日本のいろんな場所でかかっているようで、そこには果たしてどれだけ質的なバリエーションが認められるのか。特に、自由に使えるお金や時間がなく、ミニシアター系の情報にリーチしづらい層というのは若年層だと思いますので、地方に住む若い方たちが、これからの人生を考える上での映画にこそ関与していきたいと、過去作から強く願っています」

――でも、今作ではメインタイトルとサブタイトルが出るタイミングや、回想シーンの時制の使い方などを筆頭に、非常にテクニカルな部分においても腐心されていて。ともすると野暮ったくなるジャンルの作品でありながら、様々なテクニックを駆使してそうなることを回避している作品でもあると思うのですが、作品全体のデザインや編集的なところで、心がけたことを教えてください。

山戸「これは初めて映画を撮った頃から、あるいはまだ観た映画の本数が全然足りていなかった20代の頃もそうなんですが、自分は映画を数多く観て映画監督を志すという、ある種の正統な映画界のフレームの中から出てきた監督ではなく、大学3年生くらいまでは、映画監督になるとは全く思っていなかったというところがあり、映画を撮り始めた時、そこまでにインプットされていたコレクションというものが、映画以外のものに多くの影響を受けていて。職業監督になってからは、真剣に知力と体力を使って映画を勉強させていただいているのですが。映画館という空間は、観客にとっても作家にとっても、シェルターになり得るのだと思います。映画館の中でこそ磨かれていく文法や密約のようなものが存在している一方で、今ではほぼ全ての映画が配信され、そのシェルターが瓦解し、明るい光のもとでスマートフォンで見られるというところに、映像の身体感覚として、時代的な変遷がまたあって。そうした現実と、前述した自分自身の出自とがあり、おそらく意図してそうしようとしているわけではないのですが、映画の外側にある芸術やエンタメからいただいたものが、映画に反映されてるところはすごく大きいのだと思いますね。スタート地点は映画を撮ったことだったのですが、映像作家としての性質の部分を見出してくださる方がいて、ミュージックビデオや映像全般に携わらせていただき、また往還による恩恵、相互作用的な輪の中で研ぎ澄まされる感覚を持っています」

和の妹である櫛引遥と結花を松本穂香と中島瑠菜がみずみずしく演じている
和の妹である櫛引遥と結花を松本穂香と中島瑠菜がみずみずしく演じている[c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――でも、いまおっしゃったことって、海外の優れた同世代の映画監督は当たり前に持っているもので。だから、それまでの日本映画に欠けてるところを山戸監督はごく自然に身につけていたというのが、自分の印象なんですよね。それが今回も、こういう題材で、東映配給の拡大公開の作品でもちゃんとそれがあるんだなっていう。普通の観客にとってそれがノイズになるどころか、むしろ届きやすさに繋がっているのが素晴らしいなって思うんですよね。

山戸「胸震えるようなお言葉を有り難うございます。ただ、そうした密約こそを大切に、映画という文化をシェルターとしている、本当に正統な血統の方達からすると、やはり、これは文字通り自分は雑種として、外来種として来てしまったところがありますので…一長一短かなと。ただそれでも、映画館というシェルターは、観客のためにある。そのシェルターは作家を守るためではなくて、観客のためにこそあるべきだということは思っています」

――めちゃいい話ですね。

山戸「そこは何があったとしても、どれだけ批判を受けても、貫徹したいですね、この人生の中で」

――僕も映画業界の中では雑種や外来種だと思われているかもしれないので(笑)、同じ気持ちです。

山戸「でも、その往還によって生まれるものというのはありますよね」

――そうですね。映画という文化の中で閉じた作品や閉じた批評には、自分もずっと批判的です。逆に、扉を開くという意味では、山戸監督が企画して7年前に公開された『21世紀の女の子』は、多くの監督にとってその後のキャリアのきっかけになったわけですけど、いま振り返って、あのプロジェクトについてはどのようなことを思ってますか?

山戸「『21世紀の女の子』は、当時も反響が大きかったのですが、いまになってさらに、本当に多くの方に『21世紀の女の子』の話をしていただく日々です。学生の方や、監督を志している方も、まるで必修のように観てくださったりしていて」

――あのプロジェクトに参加していた監督や役者だけではなく、観客にとっても特別なものとなっている。

山戸「肌で日々感じています。年月を経て、『あの企画・プロデュースは慧眼だったね』と言っていただくことが多いのですが、実際には逆で、あの作品に参加してくださった監督の皆さんこそが、真の慧眼の持ち主なんです。同世代の、プロデューサーでもない私の依頼に、参加していただいた監督の皆さんは、初対面の方もかなり多くいらしたのですが、全員が即答で『やります』とお答えくださいました。20代の非常に感受性の鋭い時期に、同じ国に活動をしている同性の監督同士が、あの人数集まって、同じテーマで撮るというのは、世界的にも前例がないことではないでしょうか。おそらく、これから何十年と時代が進んでも、それは変わらないのではないかと思います。人間はどうしても、若い頃には複雑な問題を抱えるので、そのプレッシャーの中で調和を試みながら撮ってくださったというのは、真に得難いことだったのだと思います。オムニバスということで、ある種競争の目線にも晒されるような局面に、表現力、個性の強い作家たちが集い、互いのまなざしを尊重し合えたということが。

今日も作家の“見られ方”の話がありましたが、皆さん、自分の“見られ方”を超えて、“何を発言すべきか”というところで、それぞれの方法で、耐えてくださっていたのだと思います。それは社会的な経験を重ねた後だったら、まさに一般社会とパラレルに、より容易かったかもしれませんが、商業映画は『21世紀の女の子』が初めてという方が圧倒的に多かった当時に、そうした枠組みや制約のある中で全員の方がやり遂げてくださったというのは、参加してくださった監督の力量と精神力、そして真の慧眼に、感謝と尊敬の思いが増すばかりです。当時も、ものすごく大きくありましたが、今も」

「ちょっとすごすぎて途方に暮れてしまうような作品」と宇野維正が称賛を寄せる
「ちょっとすごすぎて途方に暮れてしまうような作品」と宇野維正が称賛を寄せる[c]遠藤和/小学館 [c]2026「ママがもうこの世界にいなくても」製作委員会

――最後にちょっと個人的な感想を言うと、『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は観終わった後、ちょっとすごすぎて途方に暮れてしまうような作品で、自分にとっては間違いなく近年の日本映画で突出した作品でした。そして、もしかしたら山戸監督にとっても、人生で一回しか撮れないような特別な作品になったんじゃないかと想像するのですが、この作品を観客に届けた後、映画監督としてこれからどこに向かおうと思っているのでしょうか?

山戸「これはぜひ、自分の立場だからこそ言わせていただきたいのですが、宇野さん、私が26歳で『溺れるナイフ』を撮った時も、まったく同じように『これは人生で一度しか撮れない作品だと思う』と、おっしゃっていました(笑)」

――え?本当に?

山戸「今、最高の天丼をいただいて…」

――マジで全然覚えてなくて戸惑ってます。読者にとっては、自分がクリシェで言ってるように思われるかもしれませんが、そんなことないですから(苦笑)。

山戸「まさに、その世代ごとの人生の実感を、50代、60代、70代と、自分も年齢と経験を重ねながら、撮っていきたいと思っています。作家としてのスタイルは全く違うのですが、大林宣彦監督や山田洋次監督のように、日本に生きる人々が、今この時代に何を感じて映画を通して対話が実現できるのかというところを、志していきたいです。もう大きすぎる遠い目標ですし、撮影所のシステムがあった背景、その環境でたくさんの本数を蓄積された監督さん方とは、同じような道は辿れないんですけれども。ただ目標のある種のイメージとしては、その想いで一作、一作、本当に人生を懸けて撮っていきたいと思っています。次の作品も、『人生に一度しか撮れない作品だね』と言っていただけますように」

「これは人生で一度しか撮れない作品だと思う」「最高の天丼です!(笑)」
「これは人生で一度しか撮れない作品だと思う」「最高の天丼です!(笑)」撮影/JANG HOMIN

――ヤバい。オチがついてしまいました。でも、本当に良かったです。山戸監督が40代や50代になってもティーンムービーばっかり撮っているような作家だったら、今回の『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』みたいな映画は撮れないと思うので。いや、逆に、何年かしてから、今度はティーンの親の視点から撮ってみるのも面白いかもしれないですね」

山戸「そうですね。もしかして外側から、そうしたジャンルに括られてしまう題材だとしても、その内面へと向き合えるように、個人がその時代に撮る必然性を、絶対に見つけてゆきたいと思います」


取材・文/宇野維正


宇野維正の「映画のことは監督に訊け」

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