『マジカル・シークレット・ツアー』で飛躍。天野千尋監督の“生きてる人間のリアリティ”を切り取る方法【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
現在の日本映画界を見渡すと、圧倒的に優勢なのは(小説、コミックを問わず)原作のある作品。最近はアニメーション作品であってもオリジナル作品は滅多にヒットしない状況が続いているが、実写作品ではなおさら、人気俳優がキャスティングされたエンターテインメント作品におけるオリジナル脚本の比率は極端に低くなっている。つまり、有村架純、黒木華、南沙良ら人気と実力の伴った役者が揃い踏みしたオリジナル脚本のクライムサスペンス『マジカル・シークレット・ツアー』(公開中)は、それだけでとても貴重な作品だ。
さらに、本作の脚本(熊谷まどかとの共同脚本)と監督を務めている天野千尋は、少なくとも現時点においては名前で観客を呼べる監督というわけではない。というか、多くの実写日本映画のポスターやチラシにおける監督のクレジットの位置や小ささが示しているように、そもそも現在の日本の実写映画で本当の意味で「名前だけで観客を呼べる監督」なんてほぼいない。そんな環境下にあって、自主映画時代から周囲の信頼を築き、脚本や演出の技術を磨き、天野千尋監督は作品が届く距離と範囲を少しずつ広げてきた。
『マジカル・シークレット・ツアー』には天野千尋がこれまで手掛けてきた作品のテーマや問題意識も引き継がれている一方で、そこにエンターテインメント作品としての間口の広さ、優れた撮影や美術がもたらす画面のリッチさが無理なく共存している。天野千尋監督にとってこれまでで最も大きなステップとなったに違いないこのタイミングで、大学卒業後に社会人生活を経て映画監督になるまでの道程と、脚本執筆や演出において最も大事にしていることを訊いた。
「興味を持ってもらえた切り口に反応しているのが正直なところです」(天野)
―― 今回の『マジカル・シークレット・ツアー』を観てから、前作『佐藤さんと佐藤さん』をはじめ天野監督の過去作も観させていただいて、「こんなにおもしろい映画を撮ってきた監督を自分は作家として認識してなかったのか」と恥入ってしまい。
天野「ありがとうございます(笑)」
――自分の勉強不足やアンテナの鈍感さを棚に上げて言うと、天野監督が近年手掛けてきたようなタイプの作品、インディーとメジャーの中間に位置するようなわかりやすくジャンルムービーでもない、かといっていわゆる映画祭を中心に話題になる作品とも少し立ち位置が異なる作品って、なかなか情報が行き渡らないというか。取り上げるカルチャー系メディアはあるんですけど、そもそもそのカルチャー系メディアがあまり読まれていなかったり、その切り口がジェンダー問題に偏っていたりで。もちろんそういう切り口も重要なのは理解できるんですが、それだとどうしても情報を受け取る層が限られてしまうという問題があると思っていて。まず前提として誰が観てもおもしろい作品ってことが、ちゃんと多くの人に伝わるためにはどうしたらいいんですかね?
天野「いやあ、それは私も知りたいです。いまこうやって宇野さんがおもしろいって言ってくださって本当に安心してるんですけど、やっぱり自分がおもしろいと思ってるものがどこまで伝わるのかっていう不安が常に消えないんですよ。自分がおもしろいと思うものと、世の中の多くの人がおもしろいって思うものが、ちょっとずれているんじゃないかなっていう感覚があって。昔からずっとそういう感覚はあったんですけど、それが最近さらに大きくなってきています。だから、切り口を自らプレゼンしていくような心境にはなっていなくて。興味を持ってもらえた切り口に反応しているのが正直なところです」
――これは宣伝的な話になっちゃいますが、例えば今回の『マジカル・シークレット・ツアー』のポスターを見ると、いわゆる“シスターフッド映画”みたいな感じに見えるじゃないですか。確かにそういう要素もありますが、今作はもうちょっとほろ苦い現実を、ちゃんと映画にしかできないスケールと娯楽性をともなって描いている。でも、ビジュアルイメージの時点で「この作品は自分には関係なさそうだ」って思う人も多いんじゃないかと。実際、そういう声を知り合いから耳にする機会もあったんですが。
天野「そうなんですね。映画の宣伝って難しいですね…。この作品でいうと、メイン3人の表情をビジュアルで大きく打ち出すことはマーケティング的には正しいのだと思います。まずは広く知ってもらって、その上で中身で描かれていることが、口コミなどでじわじわ伝わってくれるのが理想なんでしょうか…。ただ、まず自分が本当に描きたいものがあって、それをどう表現して人に伝えるのかを考えて、さらにどう宣伝して世の中に広めていくのかを考える。それぞれ別軸のバランスがすごく難しくて。常に悩んでいますね」
――それは、いわゆる作家性と商業性のバランスが、作品の規模が大きくなるにしたがって見出しにくくなっているということでしょうか?
天野「そうですね。本当に自分がいま撮りたいものだけにフォーカスしてしまうと、映画って商業的に成立させなくてはならないものでもあるので、どこまで広がるのかっていう不安を抱えていて。あと、いち観客としても、どちらかというと開かれていてる作品のほうが好きだったりするので。自分が突き詰めたいものと、お客さんにどこまで開いていくかを常に葛藤しているんだと思います」
――そういう意味では、特に今作の場合は有村架純さん、黒木華さん、南沙良さんをはじめ、キャストの方々が作品の商業性を担保しているとも言えるわけですよね。
天野「おっしゃっていただいたようにキャストの方々は皆さん有名な方々ですが、だからこそ、それぞれのキャラクターの描き方をあまり分かりやすい表面的なものにしたくないなって思いがあって。自分が貫きたいものがあるとしたら、そこかもしれません」
――天野監督の場合、基本オリジナル脚本で、かなりハイペースに作品を世に出していて、だんだん作品の規模も大きくなっている。それだけでも単純にすごいことで。
天野「めちゃ大変です(笑)」
――しかも、誰かの下について助監督でやってきてとか、そういうよくある監督デビューのコースじゃないですもんね。大学を出たあとは普通に就職をされていて。
天野「そうなんです」
――学生のころから映画を作りたいとは思っていたんですか?
天野「学生時代の本当に最後の最後、卒業間際に映画研究部に突然入部したんですよね」
――珍しい(笑)。
天野「それで、友達と自主映画を一本撮ったのがすごく楽しくて、またやってみたいなって思いながら、一旦就職したんです。でもまあ、就職して働いていても、やっぱりもう一回映画をちゃんとやってみたいって気持ちがずっと残っていて、夜間でENBUゼミナールに通い始めて。そこからPFF(ぴあフィルムフェスティバル)とかの映画祭に応募して、ちょっと入選するようになってきた時に、やっぱり社会人をやっていると夏休みとかしか撮影ができないので、もう少し本格的に作ってみたいな、という気持ちが生まれてきて」
――映画監督って、普通に食べていけるとはなかなか思えない職業じゃないですか。会社を辞めるという思い切りがつく、なにか決定打みたいなものはあったんですか?
天野「いや(笑)。『よく決断しましたね』とかって言われたりするんですけど、自分としては必然だったというか」
――シンプルに、このまま会社で働いていたら映画を撮る時間がないから辞めるしかない、みたいな?
天野「そうですね。だから、会社員時代もそれを目指して、一応コツコツ貯金をしていました(笑)」
――立派ですね(笑)。天野監督は脚本も自身で書かれているじゃないですか。映画を撮りたいっていうのと、脚本を書きたいっていうのは、同じところから出てきた欲求だったんでしょうか?
天野「自主映画からスタートしているので、映画を撮る=自分でホンを書くっていうふうにセットだったんですよね。だからホンを書かないことのほうが新鮮と言いますか、自分にとってはチャレンジングなことであって、自分で脚本を書くのが当たり前っていう感覚です」

