山戸結希が『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』で差し出す、決定的で絶対的な劇場体験【宇野維正の「映画のことは監督に訊け」】
学生時代に撮った『あの娘が海辺で踊ってる』(12)でいきなりセンセーションを巻き起こした圧倒的な個性と新しさ。『溺れるナイフ』(16)で成し遂げた20代女性監督としての日本では前例のない商業的成功とその余波。同世代の女性監督たちをプレゼンテーションした『21世紀の女の子』(18)における貢献と先見性。2010年代の日本映画において、山戸結希の才気とその影響力が比類のないものであったことに異論を挟む余地はないだろう。
7年ぶりとなる長編映画『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』において、山戸結希は映画作家としての天分であったその閃きや煌めきを何一つ失うことなく、長いインターバルに相応しいだけの間口の広さや人間洞察の深さまで獲得している。このインタビューでは、長編映画の現場復帰まで時間がかかった理由や、“実話もの”というジャンルを選んだ理由だけでなく、日本映画界、そして観客との関係もふまえての作家としての“見せ方”や“生き方”にまでテーマが及んだ。
この取材をしたのは8月中旬のことだが、先週末に公開された『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は山戸結希作品史上最高、そして2026年東映配給作品最高の数字を叩き出して初週動員ランキング1位を獲得。インタビューで話してくれたその言葉の説得力は増すばかりだ。
「短期プロジェクトから長期プロジェクトへの、グラデーションを歩いてゆくような7年間だった」(山戸)
――自分も含め、自分の周りには男女問わず山戸監督のファンが多く、ここ数年、「山戸結希の次作映画はいつになるんだろう?」という話になることが頻繁にありました。もちろん、前作『ホットギミック ガールミーツボーイ』から7年のインターバルの間にもテレビドラマなどの演出をされていて、その作品も追ってましたが、やはり「山戸結希」という名前と「映画監督」という属性は、他の映画とテレビを横断して活躍している演出家と比べても、分かち難く結びついているという印象があります。山戸監督は、この7年という長編映画のインターバルをご自身でどのように位置付けているのでしょうか?
山戸結希(以下、山戸)「ずっと気にかけていただき、本当にありがとうございます。実際の産休と育休そのものは、短期間でした。これはきっと監督の世界に限らず、一般社会に移し替えたときに、育休明けはフルタイムではなく時短勤務やフレックス制を取り入れながら復帰されるケースも少なくないかと思います。そうしたケースと同じく、長編映画を撮るという長期プロジェクトではなく、短期プロジェクトにすぐに復帰する道を選びました。そうした短期の企画にアサインしていただくなかで、今回こうして、長編映画であり、なおかつ350館規模で公開されるメジャー作品を撮らせていただく流れになりました。また、きっとそれは複数の理由があると思うんですが──日本で30代の女性監督が、公開館数350館規模の長編映画にアサインされるのは、今作が初めてとのことで」
――ああ、確かに。
山戸「ですので、個人的には、本当にこれ以上ない最高のかたちで、産後復帰というのか、育休明けの時短勤務の後の復帰の機会をいただいたと考えています。ここでなぜこのように、一般社会に移し替えてお話させていただいたかというと、やっぱりこれまで映画監督が産休育休を挟んで復帰するケースというのが、映画界のモデルケース、ロールモデルとしてやっぱりまだ少なく、こうしたインタビューで語られているところが数件しか見つけられないというところで、この場でこうやってお話させていただくことも、きっと後のそうした生き方を選ぶ監督が、必ず読んでくださるだろうなということを考えた時に、冒頭に触れさせていただきました。
出産後に長期のプロジェクトにアサインされるというのは、どれだけ育休を取るかにもよりますが、基本的にはフルタイムで突然働くことと同義で、それは一般社会とパラレルに、無理や障壁が生じやすい状況であると言えます。そして、それが映画界となった途端、これまでのモデルケースが少なすぎる分、その難しさがあまり共有されていない。つまり、産後即フルタイムに復帰するということは、一般社会においてはその困難は既に共有され、数え切れないモデルケースがある一方で、映画界になった途端に、そのモデルケースの少なさから、女性が産後に、完全に休むか、完全な復帰か、その二択になりかねないところは一つハードルなのではないかと考えています。 そうした意味でも、自分の場合は、そうした短期プロジェクトから長期プロジェクトへの、グラデーションを歩いてゆくような7年間だったということを、お伝えさせていただければと思います」
――先ほどスクリーン数の話が出ましたけど、『溺れるナイフ』や『ホットギミック〜』の時点でもかなり大規模でしたよね?
山戸「はい。過去の作品も、メジャー作品として、150館規模で公開されています。今回の『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』は倍以上の規模感(※354館でスタート)の作品となりました。なぜ30代の女性監督がこれまでその規模の作品には一人もいなかったかといえば、まさに、30代というのは女性にとってライフステージが変化する時期でキャリアが積みづらいことと、シンプルに、女性の監督が30代までにその規模の作品を手掛けるまでのパワーを持つことが、日本ではこれまで難しかったという環境にあるのだと思います。なので、個人としては本当に、子どもがいる状況で、そこも含めて理解してくださり、こうした長期のプロジェクトに呼んでくださった東映の皆さんに、本当にありがたく思っています」
――ご出産されてから、その遠距離の長期ロケは、どうやってクリアしたのですか?
山戸「パートナーが、仕事をかなりセーブして、仕事をする時間を削って、子どもと向き合ってくれていました。撮影期間はかなり前から決まっていましたので、その段階から、事前にその期間を確保する調整をしてくれていました」
――この7年間は、コロナ禍もあって、日本の社会にも大きな変化があった時期だと思うんですけど、山戸監督の場合、そこにライフステージの大きな変化も重なった。なので、ご自身の変化と社会の変化を切り分けて考えるのは難しいかもしれませんが、この7年の社会の変化とご自身の変化は、どのように今回の作品に流れ込んでいると思いますか?
山戸「反映されたところで言うと、個人の変遷としては、20代の時に長編映画を撮らせていただいたあと、テレビシリーズでは、今作にも通じるような、“生と死”を扱う主題に連綿として携わらせていただいたという流れがありました。ジェーン・スーさんの同名自伝エッセイを原作にした『生きるとか死ぬとか父親とか』にも、藤子・F・不二雄先生のSF短編が原作のドラマ(『おれ、夕子』)にも、そうしたテーマが含まれており、演出を務めたNHKのドラマ10『燕は戻ってこない』も代理出産を扱った作品でした。必ずしも、自分から選択した主題ではなかったのですが、今この時代の変化ということに照らし合わせると、当事者性というのか、その属性の人間が撮るということに重きが置かれる流れが存在していました。その中で、例えば代理出産の話などは、自分の属性と、映画監督であるということを含めてアサインされ、自然にそうした題材が積み重なっていったのだと思います」
「伝承的・伝統的な物語でもある一方で、生殖に対するすごく主体的な女性の選択の話でもある」(山戸)
――ただ、今回の『ママがもうこの世界にいなくても 私の命の日記』のような、日本のメジャー映画会社が作る実話ものの“泣ける映画”というジャンルに関しては、先入観を持っている人も少なくないですよね。
山戸「原作については、ある意味で偶然的に、そして個別的に選び取られたもので、その前提が最も大きく存在しているのですが、一方、ある種のジャンル映画であることは、もちろん間違いのないことで。これまでのエクスプロイテーション・ムービーというジャンルのように、ある種グロテスクな描写を怖がるだとか、エロティックな描写に恋愛への欲動を掻き立てられるですとか、そうした人間の根源的な欲望を写し取る機能が映画には本来的に備わっていて。そうしたエクスプロイテーション・ムービーの側面として、ジャンル映画が系譜としてあり、観客が期待するその事前の欲望に呼応するようなフォーマットでありながら、つまり集団的、共同的な枠組みの作品でありながらも、個人的な映画をもしも撮ることができたら、先ほど社会の変化についての言及もありましたが、そうした二元論的な分断を乗り越えていける可能性があるんじゃないかと考えていました。つまり、自分で『こうした読み解きもできる』という話をしてしまうのもどうかなと思うのですが、女性が出産するという、‟母から娘に受け継がれていく”伝承的・伝統的な物語でもある一方で、周りの誰に反対されても、自分が子どもを妊娠したいと女性が主体的に望み、その後もしかしたら子育てに参与できない可能性があっても出産をしたいのだと、意思を表明すること。それは、生殖に対する極めて主体的な女性の選択の話でもあって、実はフェミニズムの視線からも軸が通せるような、表裏一体の作りにひらかれています」
――確かに。実話というところに注目すると見えにくくなりますが、実は、産むことへの”選択”自体が、病気であることとは関係なく一般化できる。
山戸「本当に、女性当人こそが主体的に、出産について意志を持ち選択すること、その普遍性についての話だと考えていました。また、病によって究極の取捨選択が問われ、困難が2人の前に立ち塞がるという、ラブストーリーとしての普遍的な要素も内包しています。それは、過去の作品においても、まさにエクスプロイテーション・ムービー化している少女のための映画を、内面から主体的に語り直すということを自分自身選択してきて、本作は、そうした営みと綺麗に接続するような作品でもありました。でも、これはやっぱり事後的に、撮り終えて初めて、そこまで走ってこられたからこそ、言えることでもあるのですが」
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